学ぶ – 特定非営利活動法人パルシック(PARCIC) https://www.parcic.org 東ティモール、スリランカ、マレーシア、パレスチナ、トルコ・レバノン(シリア難民支援)でフェアトレードを含めた「民際協力」活動を展開するNGO。プロジェクト紹介、フェアトレード商品販売など。 Fri, 08 Sep 2023 05:02:31 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.1 マルハバ!ラマッラー駐在員のパレスチナ日記 #7 https://www.parcic.org/report/palestine/palestine_learn/22726/ Thu, 08 Jun 2023 06:44:12 +0000 https://www.parcic.org/?p=22726 *この記事は5月上旬に書かれたものですが、直後にガザの空爆があり、掲載が遅くなりました。ガザでの活動は現在再開しております

マルハバ(こんにちは)!
パレスチナ・ヨルダン川西岸地区ラマッラーから高橋です。

皆さんは「ラマダン」をご存知でしょうか。スポーツの国際大会などで時折話題になるので、聞いたことがある方も多いかもしれません。ラマダンはイスラム教徒にとって日の出から日没までは飲食を断ち、善行を重ねて信仰を深める大切な期間です。今年(2023年)は3月末から4月末までの1か月がラマダンでした。私は今回初めてイスラム教徒が多く住む地域でラマダンの期間を過ごしました。

ラマダン初日には、ラマッラー市役所の前でランプの点灯式がありました

ラマダン期間中のラマッラーでは、あちこちに月と星をモチーフにした装飾がされています

日中はコーヒースタンドや普段ファラフェルサンドウィッチ、シャワルマを売っているお店が閉店しています。少し高級なカフェやレストランの一部は営業していますが、窓にスクリーンやカーテンをかけていて外から中が見えないようになっていました。食料品以外を扱っているお店や、スーパーマーケット、八百屋、その他その場で飲食しない食品を扱っているお店は普段通り開いていました。ただし、夕方5時になると、これらのお店もほぼ全部閉店し、ラマッラーの中心部の道からは人影がすっかり消えます。「イフタール」(ラマダン中に行われる、日没後の食事)をとるためにみんな家に戻るのです。

初めてこの光景を見たときに、一瞬でラマッラーがゴーストタウンになったのか、もしくは気が付かないうちに世界が終わってしまったのかと、本当にギョッとしました。夕方とはうってかわって夜7時半過ぎからはイフタールを終えた人々が外に戻ってきます。道端には夜店が並び、子どもも大人もわいわいと買い物を楽しんでいました。

イフタールの時間が終わると車も道に戻ってきます。12月にはクリスマスツリーが飾られていた場所に、ラマダン中はランタンが飾られていました

イフタールは親戚や友人が集まる機会でもあるようです。私もパレスチナ人の知人から親戚が集まるイフタールに招待してもらいました。ラマッラーにある大きな公園でのイフタールで、私たち以外にもたくさんのグループがイフタールを楽しんでいました

招待してもらったイフタールのテーブル。イエローライスにチキンと野菜のグリル、ダワーリ(ブドウの葉で米やひき肉などを包んだもの)、フリーケ(青麦)のスープ、タブーレサラダ、ラバネ(ヨーグルト)などがテーブルいっぱいに並びます。食べたり、おしゃべりしたりに忙しくて写真を撮り忘れてしまいましたが、バクラワ(アラブの焼き菓子)、コーヒーやお茶、タマリンドジュース、水たばこをおしゃべりしながら夜9時過ぎまで楽しみました

4月20日から24日までのラマダン明けのイード(祝祭)の後は、すっかり街の様子も元に戻っています。いつも朝ごはんを買っているファラフェルサンドウィッチ屋さんや、フレッシュジュース屋のおじさん、コーヒースタンドのお兄さんに1か月ぶりに会えてホッとしました。

(西岸事務所 高橋)

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マルハバ!ラマッラー駐在員のパレスチナ日記#3 https://www.parcic.org/report/palestine/palestine_learn/21742/ Wed, 28 Dec 2022 05:39:39 +0000 https://www.parcic.org/?p=21742 マルハバ(こんにちは)!

パレスチナ・ヨルダン川西岸地区ラマッラーから高橋です。
日本では12月25日を過ぎるとすっかりお正月に向けて、雰囲気が切り替わりますが、この記事を書いている12月27日現在、パレスチナではまだまだクリスマスのお祝いが続いています。

12月5日に行われたラマッラー市のクリスマスツリー点灯式。特設ステージでのパフォーマンスや、花火、ツリーの点灯を待つ人で、身動きが取れないほどでした

アラファト広場のクリスマスツリー。毎年、飾り付けが違います。ラマッラー事務所のヤラに言わせると、今年のツリーは去年のものよりセンスが悪いらしいです(笑)。ツリーの手前に写っているのはパン屋さんです

パレスチナの90%以上の人はイスラム教徒です。私が住んでいるラマッラーも16世紀にアラブ人キリスト教徒が作った街とのことですが、現在はラマッラーの人口の97%はイスラム教徒、キリスト教徒は3%ほどです。ですが、キリストの生まれたベツレヘムなど、キリスト教にとって重要な場所があり、この時期は世界中からキリスト教徒が訪れるようです。

ラマッラー市役所前のクリスマス・マーケット。ヒジャブを着けた女の子たちも、クリスマスを楽しんでいます

アルマナーラ広場もクリスマスのイルミネーションで飾られます。ここ数日、一気に寒くなったラマッラーですが、電飾がついて明るいと、少し気分も盛り上がり温かい気持ちになります。とはいえ、まだ最高気温14度で、最低気温も4度くらいまでしか下がっていません

ラマッラー事務所から近いカフェにも、クリスマスツリーやレトロなサンタクロースの人形が並んでいます

ここ数日、イスラム教徒の現地スタッフや知り合いのパレスチナ人から「メリークリスマス!」と声をかけられます。メールやテキストも「メリークリスマス!」で始まります。季節の挨拶で、宗教関係なく交わしている言葉なのかな?と思ったのですが、ガザ事務所のスタッフに聞いてみたところ、さすがにイスラム教徒同士では言わないそうです。

一人ホットワイン。アラビックコーヒーを作る小鍋がちょうどいい大きさです

ここまでクリスマスが盛り上がっているという話を書いておいて、私自身は今年は一人でホットワインを飲んだくらいで、あまりクリスマスらしい過ごし方をしていません。来年はベツレヘムにでも行ってみたいなと思っています。

(西岸事務所 高橋)

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今年のラマダンは想定外? https://www.parcic.org/report/palestine/20511/ Wed, 27 Apr 2022 08:43:15 +0000 https://www.parcic.org/?p=20511 今年、パレスチナは今まで以上に長い冬となり、人びとは冬が過ぎた後の晴れの日を今か今かと待ちわびていました。そんな中、今年のラマダンはパレスチナ人の意表を衝いてやってきました。

世界のほとんどのイスラム地域が、4月2日の「土曜日」をラマダンの初日と発表したなか、パレスチナと隣国ヨルダンは「日曜日」を開始の日と発表しました。晴れてさわやかな4月1日の金曜日、ムスリム市民は断食前最後の日を楽しもうとリラックスモード。ピクニックに出かける人もいれば、家族や友人と一緒に家でバーベキューをする人もいて、食料品の調達やラマダンの準備は土曜日にすればいいと気楽でした(注:パレスチナでは金・土が休日)。

金曜日の夜遅く、パレスチナ政府は新月の欠片を確認した後、突如政府発表を出し、ラマダンの最初の日を土曜日に変更しました。ムスリムたちはパーティーを切り上げ、翌日、食料品の買い物のために市場に急ぎました。金曜日にたくさんの人がバーベキューをしたため、一部のお店では鶏肉が売り切れるというハプニングも見られました。

街の通りは、ラマダンのスイーツ「カターイェフ」のトロリーで埋め尽くされ、にぎやかに。お店はラマダンの装飾品を売るためのスペースを特設しています。今年もラマダンが始まりました!

ラマダンの名物「カターイェフ」

パレスチナの最近の状況

ここ約一か月間、パレスチナの情勢は悪化の傾向にあり、ラマダンというお祝いの機会を不快なものにしています。ラマダンの始めから数えても、17日までに計36人のパレスチナ人が各地で亡くなりました。家族で夕食の席を埋めることができなくなり、いつもなら集まって一緒に断食後の最初の食事をとるはずの家族の不在を悲しみました。

また多くの人びとはラマダンの時期に追加の稼ぎを得ますが、イスラエルは西岸地区内のパレスチナ人、特にジェニン市内とグリーン・ライン内のパレスチナ人のいくつかの町(イスラエル国内では人口の約2割がパレスチナ系市民)に移動制限を課し、大きな経済損失となりました。

しかし、国内のパレスチナ系市民もただぼんやりと待っていたわけではありません。売り上げの多くをイスラエル国内から買い物にくるパレスチナ人に依存するジェニン市の経済を元気づけるため、ジェニンへの無料バスを手配しました。

それでも悲しみは空に漂っています。人びとの顔からは、もはや断食で疲れているのではなく、毎日のように血が流れる状況に困ぱいし、いつになったら普通の生活を送れるのだろうかと嘆いていることが分かります。

ラマダンは、人びとと喜びを分け合って、精神的なつながりを確かめあう機会です。パレスチナも、新型コロナウイルスのパンデミックから回復していません。しかし、「占領」は人びとが楽しむことさえ許しません。 今年の記事では、少しでもラマダンの楽しい雰囲気を見ていただこうと、ラマッラー市の様子を撮ったビデオをお届けします。(ビデオは後日アップします!)

パルシック、スタッフ一同より、健康で幸せなラマダンをお祈りします。

(パレスチナ事務所 ヤラ)

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ガザの学校生活 試験結果、発表の日! https://www.parcic.org/report/palestine/palestine_learn/19720/ Fri, 01 Oct 2021 08:54:11 +0000 https://www.parcic.org/?p=19720 パレスチナでは、以前の記事でお伝えしたタウジーヒ試験(中等教育の最終学年に行われる全国一斉試験)の結果が8月3日に発表されました。今年、長女のラガッドがタウジーヒを受験した現地スタッフのタグリードが、発表当日の様子を報告してくれました。タグリードにとっては初めての子どもの受験で、娘以上にドキドキハラハラの結果発表だったようです。

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高校卒業資格試験のタウジーヒの結果発表当日、結果を伝えるショートメールが携帯電話に届く午前10時まで、神経をすり減らしながら、その時を待ちました。様々な感情があふれ、心拍数も上がります。娘の試験が成功したのか失敗したのか、はたまた、いくつかの科目の再受験が必要なのか・・・。

ついに、午前10時になりました。家族みんなが黙っていたので、ショートメールの受信音がはっきりと聞こえました。数秒間ちゅうちょして、それでも勇気を出してメッセージを開きました!

「ジャワール(Jawwal、パレスチナの通信会社)は、あなたの成功を祝福します。タウジーヒの結果は85点です。」 *得点は、必須4科目(アラビア語、英語、歴史、数学)と基礎4科目(宗教、地理、理科、情報)のうち高得点の2科目の合計を100点換算したもの

結果が信じられず、夫に見せて「本当に85か、58の間違いではないか」と聞きました。 彼は喜んで「85だよ!」と答えてくれました。 私は興奮して飛び跳ねて、娘のラガッドを抱きしめました。そして幸せの涙があふれてきました。

30分もしないうちに、大きなお盆に載せたお菓子とスピーカーを持った私の母と義理の姉妹たちが家にやって来ました。みんなで成功を祝う歌を歌い、楽しく踊りました。親戚や友人、同僚、パルシックが支援している女性たちからの祝福の電話で、私の携帯電話は鳴り止みませんでした。幸せは家の中だけにとどまらず、近所の人たちも一緒に「マブルーク(おめでとう)」と言ってお菓子を食べ、コーヒーを飲みました。娘の努力は報われ、成功の実を刈り取ることができました。

合格した学生はお菓子やプレゼント、お金を受け取ります。

タウジーヒは、多くのパレスチナ人が経験するイベントの1つです。 (パレスチナでは、日本の高校にあたる中等教育が2年間あり、この2年目にタウジーヒを受験する。なお、2019年の中等教育修了率は61.2%。)

今年は、新型コロナウィルスから学生と職員を守るため、様々な予防措置をとって試験が行われました。パレスチナ自治政府経済省は、今年パレスチナ人学生の71%以上がタウジーヒに合格したと発表しています。厳しい政治情勢とコロナ禍にもかかわらず、試験に参加した東エルサレム、ヨルダン川西岸、ガザ地区の学生82,924名のうち、59,128人が試験に合格しました。

実際、学生たちは今年も新型コロナウィルスの影響を受け、ほとんどの授業がオンラインでした。また、ガザでは、5月にイスラエルとの間で11日間に及ぶ武力衝突があり、子供を含む232名の死者、1900名以上の負傷者が出ましたが、試験はその約1か月後に行われました。

テストの結果は、インターネット上と、パレスチナの通信会社のジャワールとオレドー(Ooredoo)からのショートメールを介して発表されました。結果を受け取った後、学生たちはその詳細を確認するため学校に向かいます。そして、大通りでは 、学生の成功を祝した花火とパレードが始まります。今年は、学生もその家族も大変な思いをしましたが、多くの家が成功という贈り物を味わいました。 9か月以上も頑張ってきた学生やその家族は、幸せを受け取るのにふさわしいでしょう。

パルシックのスタッフからのお祝い

(ガザ事務所 タグリード)

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ガザの学校生活、迫る最終試験! https://www.parcic.org/report/palestine/palestine_learn/19345/ Mon, 28 Jun 2021 09:32:09 +0000 https://www.parcic.org/?p=19345 ※この記事は、5月のガザ空爆の前に、現地スタッフのタグリードが書いたものです。5月10日から21日まで、ガザはイスラエルとの間で11日間の戦闘状態に入りました。その間、パルシックが支援する女性たちや現地スタッフから聞こえてきたのは、空襲への恐怖とともに、子どもたちの学校や将来を心配する声でした。軍事封鎖下にあり、数年おきに戦闘が起きるガザですが、子どもにより良い人生を歩んでほしいと願う親の思いは変わりません。現在ガザでは、緊急支援や復興が進められていますが、子どもたちを含む人びとのケアは、大きな課題となっています。

自宅で子どもに勉強を教えるお母さん

チックタック、チックタック。

「タウジーヒ」まで、もう時間がありません!タウジーヒとは、中等教育の最終学年に行われる全国一斉試験です。学生は、自分の専門性や希望に合った大学に入るため、この試験に合格しなければなりません。タウジーヒの結果は、教育においても、人生においても非常に重要です。

はじめに、パレスチナの教育制度について簡単に説明させてください。まず、4歳から5歳5ヶ月の子どものための、就学前教育(幼稚園)から始まります。 その後、一般教育が10年間(1年生~10年生)。そして、中等教育が2年間あり(11年生と12年生)、科学と文学の2つのコースがある「学術教育課程」か、商業、農業、工業、ホテル業、家政学の5つのコースがある「職業教育課程」のどちらかを選択します。その後、大学や短期大学、専門学校での高等教育に進みます。

将来のかかった「タウジーヒ」が近づくと、学生の家族も、難しい状況に置かれます。誰もが、不安や恐れ、緊張を隠すことができません。私は教育の専門家ではありませんが、経験を通して知っています。長女のラガッドは、今年試験を受けるのですが、家族中が不安と緊張、そして期待を感じています。 そして次女のハナは、来年が試験の年です。2年間もこのような経験をするのかと思うと、複雑な気持ちです。

親は、試験前の子どもを特別扱いです。いつも励まして、気持ちを落ち着かせ、勉強のための場所を用意します。しかし、新型コロナウィルスは学校生活にも大きな影響を与えています。政府は非常事態を宣言し、一時すべての教育機関が閉鎖されました。学生たちは、ほとんど毎日、家でオンライン授業を受けています。新型コロナウィルスによって、オンラインが当たり前になりましたが、すべての人がパソコンや携帯電話をもち、インターネットに接続できるというわけではありません。 それに加えて、ガザでは日中8時間しか電気が使えませんし、夏になると、電気が使える時間はもっと少なくなります。

さて、試験の結果が発表されると、学生は親戚や友人たちからお祝いのメッセージを受け取るだけでなく、高価なプレゼントや、大学の授業料も受け取ります。 成功の喜びは、本人だけでなく、家族や友人、隣人にも広がります。近所からは、歌や泣き声が聞こえてきます。これまでの疲労と頑張り、徹夜の日々が報われる1日。1年間、一生懸命勉強し、成功の甘い果実を刈り取った人へのご褒美です!

お祝いのお菓子

※当初6月17日に予定されていたタウジーヒ(一斉試験)ですが、パレスチナ全土における治安悪化の影響を受けて一週間延期され、6月24日に実施されました。

(ガザ事務所 タグリード)

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パレスチナ:ラマダン、パンデミックの陰で https://www.parcic.org/report/palestine/palestine_learn/19109/ Tue, 11 May 2021 09:32:46 +0000 https://www.parcic.org/?p=19109 2年連続、今年のラマダンもCovid19パンデミックの制限期間中に行われます。パレスチナを含める世界のあちこちで、4月13日からラマダンが始まりました。この開始のタイミングは新月の確認によって決まります。

カウントダウンカレンダーで、子供たちはラマダンをよりワクワクして過ごせます(ラマダン後のイードのお休みまでをカウント)。

ラマダン月には、たくさんの露店が現れます。そのうちの1つはお家の装飾品です。

この時期アラブ世界のどこかを歩いている方、「わたしを怒らせないで、断食をやめてしまうよ!」という冗談が聞こえてくるかもしれません。断食月の最初の数日間は、体内のシステムがショックを受け、頭痛、めまい、吐き気、激しい空腹がともないます。あなたの周りに、もしコーヒー好きや喫煙者がいるなら、朝の接触は避けてください。

イフタール中(断食後の最初の食事)やイフタール後に飲むすっきりとしたラマダンジュースは、水分をたくさん失った体の水分補給に役立ちます。

普段ならば、パレスチナや世界中のすべてのイスラム教徒は、夕食の席で家族や友人と聖なる月を祝い、その後モスクで夜のお祈りをしていました。

今年は、昨年のラマダンと比べると、いくつかの条件が緩和されました。モスクが再開し、カフェは午後10時まで営業し、スーパーマーケットと市場は午後8時まで営業します。しかし、政府は引き続き移動と集会の制限を義務付けています。

たとえば、エルサレムのアル・アクサモスクは昨年のラマダン中閉鎖されましたが、今年はワクチンを接種した人のみが、マスクを着用し、社会的距離を保つことを条件に立ち入りが許可されます。

ラマッラーの場合、2020年のラマダンの灯篭点灯式は、ラマッラー市の自治体協力の下、ラマッラー知事が行い、市民はライブ中継されたイベントを自宅から見てお祝いしました。今年、知事と自治体に加えて数人が式に参加。両手を広げて泣きながらラマダンを祝福し、聖なる月を再び迎えられたことを神様に感謝しました。

灯篭(ランタン)は中東地域でラマダンの伝統的・文化的なシンボルになり、どこに行っても見ることができます。

新型コロナウィルス感染症のパンデミックにより、多くのビジネス、事業が凍結、停止し、深刻な経済的苦難をもたらしました。そのため、今年は多くの人びとが、この特別な機会を利用して、お菓子を焼いたり、伝統的な料理やピクルス、ジュースを準備したりするなど、小さな家庭規模の事業を行っています。

パレスチナでラマダン月の大人気デザートといえば、カターイェフ。

ラマダンの聖なる月、断食明けの最初の一口としてピクルスがよく食べられます。

ラマダン月はこれまで以上に困難になるでしょう。多くの家族は夕食のテーブルの周りの席を埋めることができず、普段なら集まって一日の長い断食を一緒に明かして過ごす人たちがいない寂しさを感じています。

ラマダンの初日は、ことわざに「最初は白か緑」と書かれているように、白または緑のメインディッシュで迎えられるのが通例です。

食欲をそそる料理と絶品デザートが満載のラマダンメニュー

でも、神の助けにより、この困難もいつか過ぎ去ると信じています。神の信仰を失わないために。

パルシックより、健康で幸せなラマダンをお祈りします。

(パレスチナ事務所 ヤラ)

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パレスチナ、クリスマスの喜びはどこへ? https://www.parcic.org/report/palestine/palestine_learn/18407/ Mon, 28 Dec 2020 09:16:07 +0000 https://www.parcic.org/?p=18407 イエス・キリスト生誕の地でクリスマスイブを祝うため、毎年世界中から何千もの巡礼者が、ベツレヘムを訪れます。

生誕の洞窟、キリストが生まれたといわれる場所。

パレスチナでは、12月初旬にクリスマスフェスティバルが始まり、1月まで続きます。この季節、ベツレヘムは経済的にも立ち直り、たくさんの観光客やライトアップ、きれいな飾りつけやパーティーで街全体が活気づきます。

ラマッラー市内のカフェ・ドゥラペ。クリスマスは季節じゃなくて気持ちが大事。

新型コロナウィルス感染症の感染拡大前は、ベツレヘムのクリスマスキャラバンで幕を開ける、大きなイベントがありました。たくさんの人たちがお祝いのために通りに出て、パレスチナの子どもたちも大いに楽しみます。毎年恒例のこのイベントは、イエスの町ベツレヘムから始まり、ラマッラー、ザバブデと続き、ジェリコで終わります。キャラバンだけでなく、ラマッラーやベツレヘムでは、通り沿いで花火やショー、飾りつけが行われ、ツリーの設置イベントも開かれます。

ラマッラー市内アラファトスクウェアのクリスマスツリー

サンタグッズがいっぱい!

多くの人は、年末のクリスマスまでには新型コロナウィルス感染症も収束し、ワクチンも手に入るようになって、以前と同じようにクリスマスを祝うことができると考えていました。でも、まったく違う結果になってしまいました。パレスチナにおける感染者数は増え、状況は落ち着きません。政府は流行を抑えるため、日々、内務省の勧告に基づいて新しい規制をしています。最近では、夜間の外出規制や移動制限が実施されました。

今年はキャラバンはないけれど、それでもクリスマスを楽しみます。

今年は、すべてのお祝いごとがキャンセルされ、子どもたちの笑い声も消えて、教会は空っぽ、訪問客もなく、設置されたクリスマスツリーはテレビから見ることになりました。屋外パーティーはなくなり、家の中だけに。新型コロナウィルス感染拡大防止のため集会も制限され、オンラインアプリで参加する人たちもいます。

ナブロスの家の様子。キリスト教徒はクリスマス気分を味わうため、家を飾り付ける。

それでもラマッラー市は、通りを飾り、クリスマスツリーを立て、精一杯、子どもや住民たちを元気づけています。そして、封鎖で大きな打撃を受けた手工芸品店を助けるためにクリスマスマーケットを1週間開催し、すべての人たちに喜びや希望を与えました。

子どもたちはクリスマスマーケットで友達へのプレゼント探し。

マーケットに参加したJelld(ハンドメイドのレザー製品)。Jelldは、2016年に3名の大学生が立ち上げたヘブロンのベンチャー企業で、困窮者に雇用の機会を作ろうとしています。

2020年は厳しい年でした。隔離されている人も、愛する人を失った人もいます。サンタでさえ、このクリスマスから立ち去ってしまったようです。私たちにできることは、来たる年がより良い年になることを祈り、すべての苦しみが癒されることを願うことだけです。皆様の、健康で安全で、そして幸せなクリスマスシーズンをお祈りしています。

ラマッラー市立公園にて、クリスマスソングと噴水

ラマッラーのK5M菓子店の、クリスマスクッキー

(パレスチナ事務所 ヤラ)

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パレスチナ難民の苦しみ https://www.parcic.org/report/palestine/18123/ Wed, 11 Nov 2020 07:18:58 +0000 https://www.parcic.org/?p=18123

アル・ラシーディーヤ難民キャンプ スール、レバノン©Mohammed Al Sayed

イスラエルの建国につながった1948年戦争(第一次中東戦争)の結果、約75万人のパレスチナ人が故郷を追われ難民となりました。パレスチナ難民は誰一人としてかつて住んでいた家やコミュニティに戻ることを許されておらず、その人口は増え続けています。現在、世界中で58の難民キャンプに700万人以上のパレスチナ難民が住んでいます。パレスチナ人にとってこの強制離散の現実は、パレスチナの歴史を語る上で根幹となっており、またこの難民問題はパレスチナとイスラエルの紛争の原点となっています。

パレスチナ難民は、他の難民がもつ権利の多くを持っておらず、例えば基本的な人権の欠如や、心理的、社会的、経済的、実存的、人道的、政治的問題を含む問題をはじめとした多くの困難に直面しています。

パレスチナ難民受け入れ国の1つであるレバノンには、12の難民キャンプがあります。レバノンでは45万人のパレスチナ人がUNRWAに登録されていますが、彼らの多くが重要な権利を欠いており、また25種類の職業分野で仕事に就くことができません。その結果、レバノンでは、UNRWAが活動している他のどの地域よりも多くのパレスチナ難民が貧困に苦しめられています。そしてパレスチナ難民キャンプの居住環境は非常に劣悪です。鉄板で作られた屋根の中は常に混雑していて、道路や衛生設備などの基本的なインフラが不足しており、数か月も電力不足が続いたり、電力が供給されたとしても断続的だったりします。一部のレバノンのキャンプでは、冬に雨が降ると下水が人々の家に流れ込んでしまいます。

さらにパレスチナ人は、キャンプ内であっても、建物を修復したり建設したりすることは許可されていません。これは、家が何らかの形で損傷したり、学校などの施設に修理が必要になったりした場合でも、それらを修復することは違法であり、これを破れば重い罰金が科せられることを意味します。それだけでなく、過密状態や不十分なインフラ、医薬品や医療への限られたアクセス、栄養不足、紛争や事故によって起こる不衛生などといった理由のために、多くの健康問題に直面しています。国際機関とUNRWAは、場所に関係なく、すべてのパレスチナ難民キャンプに医療を提供しています。しかし、援助機関によって提供されていないヘルスケアが必要となることも多く、地域の医療価格によっては高額となってしまいます。そのため、パレスチナ難民の家族は厳しい決断をしなければなりません。例えば、家族の中で複数の子どもが病気の場合、1人は治療を受けることができますが、他の兄弟は治療を受けることができないという状況です。

パレスチナ難民キャンプにおけるもう一つの深刻な問題は、教育の欠如です。 UNRWAは、さまざまなパレスチナ難民キャンプで50万人の子どもたちに教育資源を提供し、また国際援助組織も更なる資金を提供しています。しかし、これらの教育支援では、将来仕事を得るために必要なスキルをパレスチナの若者に提供できているわけではありません。alresalahウェブサイトの最新の統計によれば、パレスチナ難民の失業率は恐ろしい数値となっています。レバノンでは、パレスチナ難民の70パーセントが失業しており、ほとんどのパレスチナ難民が1日2ドル相当で生活しています。また、人口の約50%は仕事に必要な最小限のスキルしか持っておらず、さらに10パーセントの人びとは一度も学校に通ったことがありません。

このように、レバノンのパレスチナ難民キャンプで生まれた多くの人びとにとって、仕事を見つけることができない理由は教育の欠如にあるといえます。シリア危機により200万人のシリア難民がレバノンに避難したこともあり、仕事をめぐる競争は一層激化しています。その結果、パレスチナ難民は、衛生や農業、建設業、繊維業、洗車、電気関係などといった低賃金労働に従事することが多く、その他の仕事を見つけることは困難です。またパレスチナ難民の女性の多くは、乳母、看護師、または使用人として働きます。

難民は、政治、戦争、強制移住や第三国定住のために非常に過酷な経験を強いられてきています。一方で、占領に苦しんでいるパレスチナに住んでいるパレスチナ人は、教育を受け、仕事をし、ビジネスを営むことができれば、よりよい生活を送り、自分たちの国のなかで疎外感を感じることも無くなるでしょう。

今こそ、世界中のすべての難民の苦しみの連鎖を止め、より良い生活を提供するべきなのではないでしょうか。

(パレスチナ事務所 ヤラ)

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ヒジャーブ(スカーフ)って何?イスラム教徒の女性はなぜヒジャーブを着けるの? https://www.parcic.org/report/palestine/palestine_learn/18024/ Wed, 04 Nov 2020 06:53:02 +0000 https://www.parcic.org/?p=18024

ヒジャーブ(スカーフ)は、覆うことまたは隠すことを意味するアラビア語です。イスラム教の女の子たちは、イスラム教の経典コーランにおける神の教えに従いヒジャーブを着けます。神は、貞節な女性たちに「目を伏せ、プライベートな部分を守り、(魅惑させないよう)飾らず」にと伝えています。これは、女性たちが名誉と尊厳を維持し、謙虚さを保ち、性欲的な外的要因を取り除くことで、社会でイスラム教徒として認められ、虐げられることを防ぐためです。若い女性が思春期に達すると、頭をスカーフで覆うことが義務になります。 一部の家族は、スカーフをつけるかどうかの決定を娘に任せていますが、社会的プレッシャーとなると別の話です。

ヒジャーブを着けることで、女性たちは、愛、プライド、エンパワーメント、満足感、充実感、抵抗心、さまざまなプラスの感情を表現することができます。でも、悲しいことに、それは憎しみ、困惑、哀れみ、そして軽蔑感などネガティブな感情の引き金にもなります。ある人にとってはヒジャーブの着用は抑圧であり、またある人にとっては自由な選択です。アイデンティティの印として身につける人もいれば、精神性の証として身につける人もいます。通常、女の子は親族関係にない男性の前や、結婚者側の家族にいる男性メンバーの前でヒジャーブを着用することを求められます。着用は家の中と外の両方で、周りのアブない男性から、ホコリや有害な紫外線から、その他予想外の害を及ぼすすべてのものから女性を守るためです。

ヒジャーブは歴史を通して多くの国で着用されてきました。ヒジャーブをどう身に着けるかは、宗教の解釈に応じて個人ごとに異なります。たとえば、パレスチナの女性たちは60年代にヒジャーブを着用し始めますが、短いスカートと透明なヒジャーブという合わせ方は、当時のコミュニティの影響で、宗教的目的による着用は、年配の女性に限定されていました。80年代に着け方が一変し、年齢を問わずすべての女性が宗教的な目的で身に着けるようになります。

ヒジャーブの生地や色において、こうあるべきだという統一されたスタイルはありません。今日の世界では、ヒジャーブの着用スタイルは個人的な好みによります。頭と首を覆っているが顔は隠さない「ベール」と呼ばれるものが主流です。ただし、ヒジャーブとは、正式には手、顔、足元を除くすべてを、長くて緩く、透けて見えない衣服で完全に覆うことを指します。ヒジャーブを着ている女性をアラビア語ではムハッジャバと呼びます。一部のイスラム教の女性には、目だけを露出して全身着の衣服を身に着ける人もいれば、顔と手を除くあらゆる部分を覆う人もいます。髪の毛や胸の谷間だけ隠しておけばよいと信じている人もいれば、全く服装ルールを守っていない人もいてさまざまです。

最後に、ヒジャーブには、女性たちがどう歩き、話し、見、考えるかなどお作法の意味も込められています。それはすべて謙虚に行われるべきということですが、これは男性にも女性にも求められる行動です。

(パレスチナ事務所 ヤラ)

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サハルの冒険2 旅は憂いもの辛いもの<後編> https://www.parcic.org/report/palestine/palestine_learn/17134/ Wed, 01 Jul 2020 02:29:22 +0000 https://www.parcic.org/?p=17134 サハルの冒険2 <前編>より

インターネットでビザに必要な書類を調べてみる。以前、ヨルダン領事館から代理申請の場合は代理人委任状を持ってくるように言われたので、それはサハルに頼んで取り寄せていたが、他の書類についてはどこを探しても記述がない。

「うーん。ま、いっか。とりあえず行って聞いてみよう」
これが通用するのがアラブ社会の寛容なところである。

通訳兼代理人の同僚ヤラと財布役の私とでヨルダン領事館へ向かった。とれたての日本のビザを強調しつつ「ガザ地区のスタッフを日本に招聘するため、ヨルダンをトランジットで利用したい」と説明すると、あっさり「向かいの机で申請書を書くように」と告げられ、ヤラにアラビア語で申請書を埋めてもらう。
「パスポートのコピーを取らせて」と言われ、意外に簡単に済みそうだとホクホクしながら申請書と一緒にサハルのパスポートを差し出すと、それまでスムーズに手続きしていた領事館員が急に渋い顔になった。

「このパスポート、更新しないとビザが出せないよ」
えっ。そんな馬鹿な。日本のビザですら下りたのに?
「ヨルダン出入国の時点で残存期間が6カ月ないとビザを出せないんだよ」

慌てて確認すると、渡航予定日からパスポートの有効期限まで5ヵ月と少し、確かにぎりぎり足りていない。日本のビザを申請したときの渡航予定日が、手続きなどあってヨルダンビザ申請時には少し後にずれていたので、どうやらそのせいらしかった。

「パレスチナの内務省にパスポート発給の部署がある。近いし、今から行っておいでよ」
とヨルダン領事館員。しかし、ここで重大な問題に気付く。
「いや、でも待って!このパスポートにはすでに日本のビザが……」
「新しいパスポートでビザを取り直したら?日本の代表事務所、このビルの上階だよ」
偶然にもヨルダン領事館と日本の代表事務所は同じビル内にある。
「だめだめ、ラマッラーの日本代表事務所ではビザの発給はやってないんだよ。テルアビブでとり直しになってしまう。そんな時間はもうないし、行ける人もいないし……」

パレスチナのパスポートを片手にうろたえまくっている日本人をさすがに気の毒と思ってくれたのか、「ちょっと待って」とヨルダンの領事館員が奥に一度引っ込んで、すぐ戻ってきた。

「やっぱりこのままではビザは出せないけど、新しいパスポートを作って、古いパスポートも内務省に事情を話してキープさせてもらったらどう?こちらとしては新しいパスポートさえあればビザは出せるよ。ヨルダン渡航の時は新しいパスポートを出して、日本入国の時は古いパスポートで通ればいいよ」
私は、親身になって方法を一緒に考えてくれた親切なヨルダン領事館員に対し、失礼にも「日本はアラブ諸国とは違うので、そんなやり方でいけるわけがない」と甚だ不安に思ったが、とにかくヨルダンビザがないことには話にならない。至急パレスチナの内務省に確認するしかなさそうだった[1]

ヨルダン大使館を飛び出てタクシーを捕まえ、今度はパレスチナ内務省パスポート担当課へ向かう。同僚のヤラがいつもパスポートを更新している場所だ。申請書などが必要だとヤラが言うが、それも行ってその場で聞いて、可能であればその場で書けばいい。とにかく日本のビザがどうなるかだけでも確認しなくては。ところが、ついてみると窓口で事情を説明していたヤラが困った顔で振り返った。

「ガザ住民のパスポート更新はここじゃできないみたい」
「え?じゃあどこに行けばいいの?」
「ヨルダン領事館の向いのビルに、ガザ住民用に別のパスポート担当課があるって……」
そうしてとんぼ返りとなる。

パレスチナの役所は平日なら3時、この日のように木曜日であれば2時には閉まる。ぎりぎりの1時半頃にガザ住民用のパスポート担当課の事務所に駆け込んだ。

「パスポートを更新したいが、すでに取得した日本のビザがあって、古いパスポートもキープさせてもらいたいのだがそれは可能か」、としつこく確認し、どうやら可能らしいとわかったところで「ところで、代理人申請の委任状を出して」と言われる。すかさず、サハルに予備で書いてもらっていた委任状を差し出すと、「任意の書式じゃなくて、ちゃんと司法書士が作成したやつだよ」と言われて面食らった。

考えてみれば当たり前なのだが、役所の業務であっても割とルーズなパレスチナの対応に慣れ切っていたため、ちゃんと正規の手続きを求められるとは全く予想していなかった。すぐにサハルに電話し、翌週彼女が近くの司法書士事務所を訪問して作成してもらった書類をラマッラーに郵送する段取りとなった。

2時過ぎ、ようやくパスポート担当課の事務所を出る。人っ子一人いない廊下を抜けると、ビルの出口はすでに施錠されていた[2]

[1] 後で確認したところ、国によるが有効なビザのある旧パスポートと更新されたパスポートの併用は可能なことも多いそうなので、本当に失礼だった。

[2]その後、ガザ地区からパスポート更新申請書類が西岸のパスポート担当課に送られ、無事パスポートを更新。そのままヨルダン大使館でビザを申請し、1週間程度でビザが下りた。懸念であった旧パスポートは、通常穴があけられて破棄されるところ、最初のページに「Cancelled」のハンコが押されただけで返された。念を入れ、日本大使館に恥を忍んで事情を話したところ、日本のビザにハンコが押されていたり、穴があいたりしていなければ、新旧パスポート併用で入国できると丁寧な返答をもらった。

(パレスチナ事務所 盛田)

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