ガザの人びとの声 – 特定非営利活動法人パルシック(PARCIC) https://www.parcic.org 東ティモール、スリランカ、マレーシア、パレスチナ、トルコ・レバノン(シリア難民支援)でフェアトレードを含めた「民際協力」活動を展開するNGO。プロジェクト紹介、フェアトレード商品販売など。 Sat, 19 Sep 2020 07:46:50 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.1 サハルの冒険2 旅は憂いもの辛いもの<後編> https://www.parcic.org/report/palestine/palestine_learn/17134/ Wed, 01 Jul 2020 02:29:22 +0000 https://www.parcic.org/?p=17134 サハルの冒険2 <前編>より

インターネットでビザに必要な書類を調べてみる。以前、ヨルダン領事館から代理申請の場合は代理人委任状を持ってくるように言われたので、それはサハルに頼んで取り寄せていたが、他の書類についてはどこを探しても記述がない。

「うーん。ま、いっか。とりあえず行って聞いてみよう」
これが通用するのがアラブ社会の寛容なところである。

通訳兼代理人の同僚ヤラと財布役の私とでヨルダン領事館へ向かった。とれたての日本のビザを強調しつつ「ガザ地区のスタッフを日本に招聘するため、ヨルダンをトランジットで利用したい」と説明すると、あっさり「向かいの机で申請書を書くように」と告げられ、ヤラにアラビア語で申請書を埋めてもらう。
「パスポートのコピーを取らせて」と言われ、意外に簡単に済みそうだとホクホクしながら申請書と一緒にサハルのパスポートを差し出すと、それまでスムーズに手続きしていた領事館員が急に渋い顔になった。

「このパスポート、更新しないとビザが出せないよ」
えっ。そんな馬鹿な。日本のビザですら下りたのに?
「ヨルダン出入国の時点で残存期間が6カ月ないとビザを出せないんだよ」

慌てて確認すると、渡航予定日からパスポートの有効期限まで5ヵ月と少し、確かにぎりぎり足りていない。日本のビザを申請したときの渡航予定日が、手続きなどあってヨルダンビザ申請時には少し後にずれていたので、どうやらそのせいらしかった。

「パレスチナの内務省にパスポート発給の部署がある。近いし、今から行っておいでよ」
とヨルダン領事館員。しかし、ここで重大な問題に気付く。
「いや、でも待って!このパスポートにはすでに日本のビザが……」
「新しいパスポートでビザを取り直したら?日本の代表事務所、このビルの上階だよ」
偶然にもヨルダン領事館と日本の代表事務所は同じビル内にある。
「だめだめ、ラマッラーの日本代表事務所ではビザの発給はやってないんだよ。テルアビブでとり直しになってしまう。そんな時間はもうないし、行ける人もいないし……」

パレスチナのパスポートを片手にうろたえまくっている日本人をさすがに気の毒と思ってくれたのか、「ちょっと待って」とヨルダンの領事館員が奥に一度引っ込んで、すぐ戻ってきた。

「やっぱりこのままではビザは出せないけど、新しいパスポートを作って、古いパスポートも内務省に事情を話してキープさせてもらったらどう?こちらとしては新しいパスポートさえあればビザは出せるよ。ヨルダン渡航の時は新しいパスポートを出して、日本入国の時は古いパスポートで通ればいいよ」
私は、親身になって方法を一緒に考えてくれた親切なヨルダン領事館員に対し、失礼にも「日本はアラブ諸国とは違うので、そんなやり方でいけるわけがない」と甚だ不安に思ったが、とにかくヨルダンビザがないことには話にならない。至急パレスチナの内務省に確認するしかなさそうだった[1]

ヨルダン大使館を飛び出てタクシーを捕まえ、今度はパレスチナ内務省パスポート担当課へ向かう。同僚のヤラがいつもパスポートを更新している場所だ。申請書などが必要だとヤラが言うが、それも行ってその場で聞いて、可能であればその場で書けばいい。とにかく日本のビザがどうなるかだけでも確認しなくては。ところが、ついてみると窓口で事情を説明していたヤラが困った顔で振り返った。

「ガザ住民のパスポート更新はここじゃできないみたい」
「え?じゃあどこに行けばいいの?」
「ヨルダン領事館の向いのビルに、ガザ住民用に別のパスポート担当課があるって……」
そうしてとんぼ返りとなる。

パレスチナの役所は平日なら3時、この日のように木曜日であれば2時には閉まる。ぎりぎりの1時半頃にガザ住民用のパスポート担当課の事務所に駆け込んだ。

「パスポートを更新したいが、すでに取得した日本のビザがあって、古いパスポートもキープさせてもらいたいのだがそれは可能か」、としつこく確認し、どうやら可能らしいとわかったところで「ところで、代理人申請の委任状を出して」と言われる。すかさず、サハルに予備で書いてもらっていた委任状を差し出すと、「任意の書式じゃなくて、ちゃんと司法書士が作成したやつだよ」と言われて面食らった。

考えてみれば当たり前なのだが、役所の業務であっても割とルーズなパレスチナの対応に慣れ切っていたため、ちゃんと正規の手続きを求められるとは全く予想していなかった。すぐにサハルに電話し、翌週彼女が近くの司法書士事務所を訪問して作成してもらった書類をラマッラーに郵送する段取りとなった。

2時過ぎ、ようやくパスポート担当課の事務所を出る。人っ子一人いない廊下を抜けると、ビルの出口はすでに施錠されていた[2]

[1] 後で確認したところ、国によるが有効なビザのある旧パスポートと更新されたパスポートの併用は可能なことも多いそうなので、本当に失礼だった。

[2]その後、ガザ地区からパスポート更新申請書類が西岸のパスポート担当課に送られ、無事パスポートを更新。そのままヨルダン大使館でビザを申請し、1週間程度でビザが下りた。懸念であった旧パスポートは、通常穴があけられて破棄されるところ、最初のページに「Cancelled」のハンコが押されただけで返された。念を入れ、日本大使館に恥を忍んで事情を話したところ、日本のビザにハンコが押されていたり、穴があいたりしていなければ、新旧パスポート併用で入国できると丁寧な返答をもらった。

(パレスチナ事務所 盛田)

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サハルの冒険2 旅は憂いもの辛いもの<前編> https://www.parcic.org/report/palestine/palestine_learn/14115/ Wed, 01 Jul 2020 02:25:26 +0000 https://www.parcic.org/?p=14115 サハルの冒険1<後編>より

手元には、サハルのパレスチナパスポートがある。

日本大使館でサーデクにビザを申請してもらうため、ガザ事務所からラマッラー事務所に送ってもらったものだ。

パレスチナ人にとって、旅の準備は「渡航先のビザを取れば終わり」ではない。しつこいようだが世界ランキング96位、まだまだやらねばならないことは山積している。だが、ここからは、パレスチナ人の中でもその「所属」によって取るべきプロセスが枝分かれしていく。

パレスチナにおいて「所属」はあまりに複雑だ。複雑すぎてその全貌はなかなか見えない。が、パスポートだけに焦点を当てて単純化するとほぼ3~6つくらいのカテゴリーに分けることができる。

  1. パレスチナのパスポートしか持たないパレスチナ人
  2. ヨルダンなどほかの国のパスポートとパレスチナパスポートを持つパレスチナ人
  3. イスラエルパスポートを持つパレスチナ人

そしてこれに居住場所別の区分が付け加わる(ヨルダン川西岸地区、イスラエル国内およびエルサレム、ガザ地区)。日本人からしてみると、ここまででもはや理解の範疇を超え始める。とまれ、あくまで「海外へ行く」ということだけに焦点をあてて、1のケースを考えてみる。

ではまず、1のケースに当てはまるヨルダン川西岸地区に住むパレスチナ人の場合だ。

パレスチナ自治区内には現在稼働している空港がない。そのため、空路で海外へ行くためには、イスラエルかヨルダンの空港を使うことになる。だが、パレスチナ人がイスラエルの空港を使うには、まず西岸地区の検問所を抜けるための「入域許可証」と、別途「空港の利用許可証」2種類の許可証が必要らしい。そして、申請したからと言って必ず許可が下りるわけではなく、下手をするとフライトの当日にやっと許可が下りた旨の連絡がくることもあるというから、とても現実的とは言えない(ちなみにビザを取る時点でフライトの予約確認書を提出する必要があるから、よほど細かい変更のできる高価なチケットを持っていなければ、高い確率でお金を失うことになる)。

そうすると、必然的に隣国ヨルダンへ陸路で移動し、空港を使わせてもらうことになる。パレスチナ人の多くはヨルダンに親戚がいることもあり、ヨルダンへ行く機会は極めて多い。そのため、ヨルダンと陸続きの西岸地区に住むパレスチナ人は、ヨルダン入国にビザが要らない。

パレスチナは軍事占領下にある。だから国境を管理しているのはパレスチナ人ではない。西岸地区からヨルダンに行くには、ジェリコ県にある、イスラエルが管理するアレンビー検問所を抜け、国境地帯を通ってヨルダンの管理するキング・フセイン検問所で入国手続きを行う。

ビザが要らないとはいえ、これらの国境検問所がパレスチナ人にとって使いやすいかというとそうでもない。活動家としてブラックリストに載っている人物と同姓同名(の別人)という理由でヨルダン入国を断られた人もいると聞いた。ヨルダンは西岸地区のパレスチナ人にとってほとんど唯一の海外への出口だから、ここでイスラエルから出域、もしくはヨルダンから入国を拒否されるということは西岸地区から出られないということを意味する。

国境検問所だって24時間週7日開いているわけではない。混雑していることも、出入国管理官に止められて審問にあうこともざらだから、検問所通過で4~5時間待ちは十分あり得る。そして、キング・フセイン検問所から空港のある首都アンマンまでは車で2時間程度の距離だ。

海外旅行慣れしている人はおそらくピンとくるはず。たいていの空港は、フライトの2時間前までにチェックインするように求めている。ジェリコ県以外に住んでいる場合は、アレンビー検問所に行くまでだって移動時間がかかるのだ。フライトの何時間前に家を出なければならないかを考えると気が遠くなる。たとえ渡航先のビザが取れたとしても、楽な道などない。

そんな長旅へ、齢60歳のサーデクは出発していった。

出発前に、搭乗時間「午前2時」を「午後の2時」と勘違いするハプニングはあったものの(アレンビー検問所はこの時期、朝8時から夜24時までの運営だったため、午前2時アンマン発のフライトであれば、遅くとも前日の夕方には出発せねばならない)、ともかくも無事旅立ったのを、旅路が楽であればいいと祈りつつ見送った。

息をつく暇もなく、今度はサハルの渡航が迫る。

ガザ地区に住むパレスチナ人の場合、陸路の移動でぐったり疲れ切った西岸地区住民よりはるかにややこしいプロセスを踏む、と聞けばうんざりすること必至だ。

ガザ地区は2007年より軍事封鎖下にある。「天井のない監獄」と呼ばれるほど、その出入りは制限されている。その限られた出入り口が、イスラエルが管理する「エレツ検問所」とエジプトが管理する「ラファ検問所」だ。そしてそのどちらも一筋縄ではいかない。

「エレツ検問所」を通りたければ、ガザ地区の住民にとって最も手っ取り早い方法は国連や他国の大使館、大手国際NGOのスタッフになることだろう。なぜなら、よほどのコネと理由がない限り、エレツ検問所の通行許可は下りない。どのくらい下りないかと言えば、ガザ地区の病院から緊急でイスラエルや西岸地区へ搬送しなければならない重体の患者が数日、下手をすると数週間、ひたすら許可をじりじり待つくらい下りない。そして理由が明示されないまま「許可証」の申請が却下されることもある。運よく検問所の通行許可が下りたとしても、通ってそこでおしまいではない。西岸地区住民と同じく、海外に出るためにはイスラエルもしくはヨルダンの空港を使わねばならないからだ。といっても、イスラエルの空港を使うという選択肢はミクロの確率なので、大抵はヨルダンの空港を使うことになる。

その際、さらに1つの分かれ目になるのが「西岸地区に滞在するか、しないか」だ。なぜならば、この「滞在」があるかないかで必要な許可証の数、許可が下りるまでにかかる時間、許可の下りやすさなどが変わってくるのである。

エレツ検問所の「通行許可」はあくまで、ガザ地区を出てよい、ということであって、イスラエル領内への入域や西岸地区での滞在を自動的に認めるものではない。毎週火曜日にエレツ検問所から出ているバスは「許可」を得たガザの住民をまっすぐアレンビー検問所の出入国管理局まで連れて行く[1]。寄り道、道草、途中下車は一切許されない。

では、西岸地区に滞在したいときはどうするのか。そう、「ヨルダン川西岸地区滞在許可」を取るのである。

関門は続く。エレツ検問所を無事通過し、さらに西岸地区を通過もしくは滞在したとして、ガザ地区のパレスチナ人と西岸地区のパレスチナ人では明らかに違うことがある。

ヨルダンはガザ地区のパレスチナ人については事前のビザ取得を求めているのだ。基本的にキング・フセイン検問所からヨルダンへ入国するときはビザが必要だが、キング・フセイン検問所ではビザ発給サービスを行っていないので事前に取得しておかなくてはいけない。

長くなったが一言でいうと、そう、ガザ住民であるサハルの場合はヨルダンビザが必要なのだ。

「ラファ検問所」については後ほど説明するとして、さて、再びビザである。ヨルダンは領事館をガザ地区に置いていないので、ガザ地区から申請しても申請書は西岸地区のラマッラーにあるヨルダン領事館までやってくる。

そんなわけで、手元にあるサハルのパスポートを持って、日本人スタッフがラマッラーのヨルダン領事館まで出向くことにした。

・・・サハルの冒険2<後編>に続く

[1] 正確にいうと、ジェリコのパレスチナの出入国管理局で降ろされ、そこで出国手続きをしたのち、バスを変えて「アレンビー検問所」まで行く。

(パレスチナ事務所 盛田)

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サハルの冒険1 旅の準備は何から?<後編> https://www.parcic.org/report/palestine/palestine_learn/14035/ Thu, 08 Nov 2018 02:10:22 +0000 https://www.parcic.org/?p=14035 サハルの冒険 1 前半より

救世主は意外なところにいた。

今年60歳を迎えた西岸事業の農業専門家・サーデクだ。サハルよりも早い日程で日本へ出発する予定で、もちろん彼もビザを取る必要がある。

西岸地区の検問所の通行規定にも例外がある。それが「男性なら60歳以上、女性なら55歳以上の場合」だ。これに当てはまるパレスチナ人は「許可証」がなくても検問所を通ることができる。だから、金曜日のラマッラー発エルサレム行きのバスには、アル・アクサモスクへ向かうおじさん、おばさん、おじいちゃん、おばあちゃんがいつもぎゅうぎゅう詰めになっている。

「サハルのビザも一緒に申請してきてほしいのだけど……」

と頼むとサーデクは快くOKしてくれた。テルアビブは遠いが、大使館での申請は時間予約制。渋滞や検問所の通過に時間がかかることを考えると、かなり早めに出発しなければならない。アラブ世界は比較的時間にルーズだが、日本人にそれは通用しないので、スムーズに到着できた場合は待ち時間が長くなるだろうと思うと少々申し訳ない。

「ついでにテルアビブで魚を食べてくるよ」

とサーデクが言う。ヨルダン川西岸地区には海がない。

テルアビブのビーチ

テルアビブのビーチ

イスラエルで陸揚げされた地中海の海の幸

イスラエルで陸揚げされた地中海の海の幸

さて、テルアビブに行く前に、申請書類の準備だ。必要書類を、念のため在イスラエル日本大使館に問い合わせた。パレスチナ人を日本に招聘する場合、必要な書類は2タイプある。申請者、すなわちサハルやパレスチナ事務所が準備しなければならない書類と、招聘者(日本側)、すなわちパルシックの東京事務局が準備しなければならない書類だ。パレスチナ側で準備する書類はパスポート、ビザ申請書、写真、フライトスケジュール、ホテル予約書、在職証明書、IDカードの写しなど。日本から用意する書類は、身元保証書、招聘理由書、滞在予定表、法人登記簿謄本などだ。これらは原本を大使館に提出する必要があるから、サハルの作る書類はガザ事務所から、東京事務局の書類は東京から郵送してもらわなければならない。

ところで、イスラエル・パレスチナの郵便事情はとても悪い。今までにも日本や他の国から送付されて手元まで届かず、どこともしれぬ場所をいまだにさ迷っているらしき年賀状や小包が数個ある。暑中見舞いの時期にクリスマスカードが届いたこともあった。そしてさらに間が悪いことに、この時パレスチナではちょうどイード休みが刻一刻と近づいていた。

犠牲祭前になると駄菓子屋さんも羊だらけに

犠牲祭前になると駄菓子屋さんも羊だらけに

イードとは、パレスチナでは1年で最も長い祝日だ。ラマダン(断食月)明けの祝祭イード・アルフィトルと、ハッジ(メッカ巡礼)後のお祝いであるイード・アルアドハ(犠牲祭)の2種類あり、短い年で3日、週末などとくっついて長くなる時は1週間くらいになることもある。イスラームの祭日は太陰暦であるイスラーム暦に従っているから、太陽暦である通常の暦の上では毎年約10日ずつ前倒しになっていく。そのため今年のイード・アルフィトルは614日~16日、イード・アルアドハは821日~23日に前夜祭と週末がくっついて9日間の大型連休となっていた。

日本の常識は、パレスチナの非常識。もちろん休暇期間に入ってしまえば、ほとんどの店やオフィスは完全に閉まるし、サービスも止まる。サーデクの出発は9月初旬を予定していたが、大使館でのビザ発給業務は申請してから510営業日程度を見込んでください、と言われていた。なかなかの綱渡りだ。大急ぎで書類を作成し、イード1週間前にガザ事務所、東京事務局それぞれから発送した旨の連絡をもらった。

通常の郵便を使うと、ラマッラーガザ間ですら1カ月もかかるので、大切な書類はDHLAramexFedExなど、少々お高いがドアツードアの国際宅配サービスを使う。

「無事、書類発送しましたよ~」

という東京からのメールにほっとしたのもつかの間。

「いまDHLからお電話があって、郵便番号がないと宅配できないと言われたのですが…」

郵便番号も書かないとはなんて凡ミス、と言われる前に弁解する。パレスチナの住所はひどく曖昧だ。番地があるところもあるが、大抵の住所は「xxx通り、男子中学校前」「ラマッラー、○○ビル3階」「△△広場近く、モスクの隣」、これだけだ。こちらのコミュニティ内では住民同士の距離感が近く、誰がどこに住んでいるといった情報はほとんど筒抜けだからかもしれない。あとは念のため電話番号を添えておくと大抵届く。

といった説明でDHLの人が納得してくれたのか、東京のスタッフが力技で丸め込んだのかはわからないが、とにかく翌日書類は発送され、イード直前の火曜日にはこちらに着く段取りとなった。イードが始まるのはその週の金曜日からだから、大使館訪問を水曜日か木曜日に入れてもぎりぎり間に合う、と思ったものの、気づけばとうに火曜日、待てども暮らせども書類が来ない。トラッキングを確認すると、いま中国にいるという。見れば、到着予定日はいつの間にか木曜日になっている・・・。結局大使館への書類提出はイードのさなかである820日に延期となった。幸い、イスラエルの祝日カレンダーに従っている在イスラエル大使館はイード中でも開館している。

結局、ガザ地区からの書類の到着も遅れ、イード中でパルシックの事務所も閉まっていたため受け取りですったもんだがあった挙句、サーデクの住む村を通るという都市間乗り合いタクシー(セルヴィス)のドライバーに申請書類一式を託した。郵便局の郵送サービスは何日かかるかわからないが、セルヴィスなら毎日走っている。相手の電話番号さえわかれば、村に立ち寄って届けてくれるから、なんだかんだで、西岸地区内の宅配サービスでは一番早くて確実だったりする。

そうして無事サーデクの手元まで届いた書類は、その後大使館に提出された。それから待つこと数日。ビザが出たかどうか、どうやって確認するのかわからないまま、電話でもかかってくるのだろうかと余裕ぶっていたが、13日目(10営業日後)の金曜日、まだビザが出ていないのであればいよいよやばい、と焦って大使館に電話をかけてみた。

「確認しますね」

と言われて待つことしばし、

「あ、お二人ともビザ出ていますよ~」

「え!?ええと、え?出てますか?二人とも?あ、ありがとうございます!」

そんなわけで、週明けにサーデクがあわてて大使館まで取りに行く。サーデクの日本渡航まで5日を切っていた。

サハルの冒険2<前編>へ

(パレスチナ事務所 盛田)

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サハルの冒険1 旅の準備は何から?<前編> https://www.parcic.org/report/palestine/palestine_learn/13986/ Thu, 01 Nov 2018 07:09:36 +0000 https://www.parcic.org/?p=13986 2018年、日本のパスポートが、パスポートランキングなるもので「世界最強」を勝ち取った。もちろん防弾仕様とか耐熱加工、はたまた鉄板などが埋め込まれていて物理的に強く、防犯対策もバッチリ、などというSFチックな(?)話ではなく、ビザなしで渡航できる国の数が199か国中、シンガポールと同率最多の180か国となったのだ。

なんと!めでたい。

日本人としては素直にありがたい話だ。パスポート片手にうきうきと脳内で行く予定もない旅行計画が立ち上がり始める。

そこで、ふと気になって「ところで、パレスチナは……」と見てみると、ずずい、とリストを一気にさがって「39か国ビザなしOK」でエチオピア、南スーダンと同率の世界ランキング96位だ。ちなみに、パルシックの海外事務所のあるトルコは49位(111か国)、東ティモール57位(85か国)、スリランカ94位(42か国)、レバノン97位(38か国)。最下位は103位シリア(28か国)、104位イラク(27か国)、105位アフガニスタン(24か国)と軒並み中央・西アジア諸国が並ぶ。一概に判断はできないが、下位の国になればなるほど、「海外への旅」は容易ではなくなる。その苦労を思えば、ふわふわの脳内旅行計画は一気にしぼんだ。

8月、パレスチナ事務所ガザオフィス代表、一番の古株スタッフでもあるサハルを日本に招聘する話が持ち上がった。ガザ地区において外務省のNGO連携無償資金の助成を受けて実施中の「ガザ南部における酪農を通した女性グループの生計支援」事業の打ち合わせや報告、調査などを行うためだ。パレスチナを含む西アジア地域から現地の方を招聘することは、パルシックでは初めて行う試み。ヨルダン川西岸地区ナブルス県で行う「地域循環型社会の促進」事業に従事する農業専門家・サーデクもサハルに少し先行するスケジュールで、日本で技術研修を受けることが決まり、2人の日本渡航の準備が急ピッチで始まった。

ヨルダンパスポートを持つパレスチナ人は多い

ヨルダンパスポートを持つパレスチナ人は多い

とはいえ、何事も一筋縄ではいかないのがパレスチナ。日本のように「思い立ったら週末にパスポートを持ってひらりと空港」、なんてわけにはいかない。旅行計画は綿密に。さて、では、何から準備しよう?
素敵なデザインのスーツケースを新調……ではなく、日本人でなければまずは「ビザ」だ。
繰り返すがパレスチナは世界パスポートランキング96位、日本への渡航には当然ビザが要る。が、ここですでに問題発生。

「どうやってビザをとろう?」

日本はパレスチナを国家承認していない。それがどうしたと言いたいところだが、これがなかなかの難問だ。日本は、在イスラエル日本大使館を地中海に面した都市テルアビブ、在パレスチナ日本代表事務所をパレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区の中心的都市ラマッラーに置いている。日本代表事務所、とは聞きなれない響き。簡単に言うと、国家承認をしていないからパレスチナに大使館は置けないが、その代わり日本政府が外交を行う拠点として代表事務所を置いている。大使館に似た機能を持つ日本政府の事務所といったところだ。

ところが、である。パレスチナ人の日本ビザ取得について大使館に問い合わせたところ、ラマッラーの代表事務所ではビザの発行を含む領事業務は行っていないとのこと。つまり、申請人がパレスチナ人であっても、ビザを取るにはイスラエル国内のテルアビブまで出向かなければならないのだ。ラマッラーからテルアビブまでは公共交通機関を乗り継いで4時間程度。遠いが行けない距離でもない。

「じゃあ、今週末、ちょっくらテルアビブ行ってくるから!」

そうは問屋が卸さない。パレスチナ人がイスラエル領内に行こうとすれば、高い高い壁が立ちはだかることになる。これは比喩ではない。

 

パレスチナ自治区と呼ばれる地域は、現在イスラエルの軍事占領下にある。

ガザ地区は、2007年からイスラエルによる軍事封鎖下におかれ、人とモノの移動は厳しく制限・コントロールされている。人の出入りができるのはイスラエルの管理するエレツ検問所とエジプトの管理するラファ検問所の2か所、物の出入りができるのはケレム・シャローム検問所の1か所のみ。そして、ラファ検問所は常時は閉鎖されていて不定期にしか開かない。エレツ検問所は外国人であれ、住民であれ、一般人の出入りはほとんど不可能だ。

他方、ヨルダン川西岸地区はと言えば、西岸地区とイスラエルの間に分離壁が築かれ[1]、両地域の自由な行き来を阻んでいる。移動するには要所要所に設置された軍事検問所を通り、イスラエル当局から発行された「ビザ」(外国人)や「入域許可証」(パレスチナ住民)を見せなければならない。そして「許可証」を持たない西岸地区のパレスチナ人は、イスラエル領内およびエルサレムへ行くことはできないのだ。日本大使館も、そこはパレスチナの特殊な事情を考慮し、代理人による査証申請を認めている。

エルサレムの分離壁

エルサレムの分離壁

ならば今こそ「最強のパスポート」をもつ日本人の出番!

――とは、ならなかった。諸事情あって、現在駐在員のもつビザには滞在可能な地域に制限がかかっている。「最強」もここでは例外。誰が大使館に行くか、それが問題だ。

・・・後編へ続く

ベツレヘムの分離壁。トランプ大統領の顔に×が

ベツレヘムの分離壁。トランプ大統領の顔に×が

[1] 高いところで8m、ベルリンの壁の約4倍の長さがある。より正確には、分離壁のほとんどは1967年停戦ラインよりヨルダン川西岸内部へ食い込む形で建てられている。国際司法裁判所では、2004年、分離壁の建設を国際法違反との判決を出している。

(パレスチナ事務所 盛田)

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パレスチナ ガザからのレポート https://www.parcic.org/report/palestine/palestine_learn/12778/ Thu, 21 Dec 2017 09:28:55 +0000 https://www.parcic.org/?p=12778 パレスチナ ガザ地区で暮らすスタッフ、サハールからのレポート

パレスチナは今、まるでいつ爆発してもおかしくない蒸気機関と化しています。圧迫が強いと爆発は激しくなるのです。12月6日のドナルド・トランプ米大統領による「エルサレムをイスラエルの首都とする」宣言の結果です。

2017年10月、ファタハとハマス(*注)の和解によって、ガザに住む私たちは大きな希望を抱き、“普通に暮らす”という最もシンプルな権利を取り戻すことを夢見て、さまざまな計画を抱き始めました。

「検問所が開いてガザの外と自由に行き来したい」
「毎日いつでも電気が使えるようになる」
「水不足が解消する」
「攻撃の心配をせず、安全安心な暮らしをしたい」

トランプ大統領による「エルサレムをイスラエルの首都とする」という愚かな宣言は、そんな希望を打ち砕きました。私たちは自由な祖国という希望を失い、再びガザという大きな監獄に閉じ込められています。

けれども、私たちパレスチナ人はこの最悪な状況で60年以上も暮らしています。暗いトンネルの先にある希望という光を見つめて、何とか生き延びてきたのです。ですからこれからも生きていきます。この写真のような子どもたちがいるから、私たちは生きていかれるのです。

日本の皆さまが私たちの状況に関心を寄せてくださることに感謝し、この状況がエスカレートしないことを願っています。

*注
ファタハ:ヨルダン川西岸を統治するパレスチナの政党。
ハマス:ガザ地区を統治するパレスチナの政党。

(ガザスタッフ サハール)

関連リンク

 

 

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