ミャンマー緊急支援 – 特定非営利活動法人パルシック(PARCIC) https://www.parcic.org 東ティモール、スリランカ、マレーシア、パレスチナ、トルコ・レバノン(シリア難民支援)でフェアトレードを含めた「民際協力」活動を展開するNGO。プロジェクト紹介、フェアトレード商品販売など。 Tue, 18 Apr 2023 01:30:39 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.1 寄付を受け取った方々の声⑪ Kさん(小学校教師) https://www.parcic.org/report/myanmar/myanmar_support/22347/ Thu, 30 Mar 2023 05:04:27 +0000 https://www.parcic.org/?p=22347 Kさんはモン州出身のモン族の33歳女性です。Kさんは両親と兄弟の5人家族です。クーデター前、Kさんは公立小学校の教師として勤務し、月収は180,000チャット(約14,040円)でした。2021年2月1日のクーデター後、Kさんは市民不服従運動に参加して教師の仕事を辞めざるを得ず、家の近くの木材工場で働き始めました。2021年8月、Kさんの住む町で、市民不服従運動参加者が逮捕されるという知らせを聞いたKさんは、別の安全な場所へと移らざるを得なくなりました。今は安定した収入がなく、家族と寄付者からの支援に頼っています。

Kさんは今、親戚の果樹園でボランティアをしています。雨期が終わって果樹園の作業がなくなったら、ゴムの採取の仕事を探す予定です。Kさんは市民不服従運動に参加し続けています。生活は大変ですが、彼女は決して諦めていません。Kさんは家に帰ることができず、家族と家が恋しくてたまりません。最近、国軍が罪のない市民を拷問し殺害しているという批判をFacebookに投稿したところ、刑法第505A条違反(*)で国軍に起訴されました。Kさんは今、指名手配されています。

Kさんは世界の皆さんに次のように伝えてほしいと言います。「ミャンマーの人びとは今、精神的にも肉体的にも、とても困難な状況にあり、世界はこれを無視してはなりません。国際社会からのより効果的な支援が必要なのです。」

(*) 2021年2月14日、ミャンマー国軍が任命した国家行政評議会(SAC)は、刑法に第505A条項を追加。「恐怖を与える」「偽のニュースを流布する」「公務員に対する刑事犯罪を直接的または間接的に扇動する」コメントを犯罪とし、違反すれば最高で禁固3年と定められている。(Human Rights Watchウェブサイトより:https://www.hrw.org/ja/news/2021/03/17/378044

Kさんが現在住んでいる家

※この事業は皆さまからのご寄付で実施しています。事業へのご寄付を引き続き受け付けておりますので、ぜひご支援をお願いいたします。

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寄付を受け取った方々の声⑩ Jさん(看護師) https://www.parcic.org/report/myanmar/myanmar_support/21911/ Wed, 08 Mar 2023 05:00:11 +0000 https://www.parcic.org/?p=21911 Jさんは25歳でカレン族の男性です。両親と弟との4人家族で、カレン州に住んでいました。クーデター前、彼は公立の診療所で看護師として働いており、月収は214,000チャット(約16,692円)でした。クーデター後、Jさんは市民不服従運動に参加し、安全が脅かされたため、別の場所への移動を余儀なくされました。

安定した収入はありません。今は間に合わせのテントで生活しているため、特に雨が降るととても大変です。Jさんは、市民不服従運動に参加し続けながら、少数民族地域で医療チームのボランティアをしています。革命が終わったら、もともとの職場と家に戻りたいと思っています。

Jさんからは、彼のいる国内避難民キャンプで使用するための医薬品と蚊帳が欲しいという要望がありました。支援を受けることができたら、他の国内避難民の人たちに貢献したいと考えていました。

「市民不服従運動の参加者として言いたいのは、困っている人がいたらお互いに助け合うということです。」

国軍の独裁者たちはあらゆる種類の暴力を市民に対してしてきました。国軍はあらゆる人権侵害を犯しています。Jさんは、彼とともに立ち上がり、市民不服従運動に参加した人を支えてくれる全ての人に感謝しています。

「私たちの民主主義を取り戻すため、革命を支えているすべての市民不服従運動の参加者へ、これからもご支援をお願いします。」

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ミャンマー:ご寄付で実施した事業のご報告 https://www.parcic.org/report/myanmar/myanmar_support/21995/ Mon, 13 Feb 2023 08:03:03 +0000 https://www.parcic.org/?p=21995 いつも温かいご支援をありがとうございます。

2021年10月に寄付キャンペーンを開始してから、2023年2月8日時点で、6,385,400円のご寄付をいただきました。心よりお礼申し上げます。

2021年2月1日のクーデター後、多くの公務員が市民不服従運動(Civil Disobedience Movement、以下CDM)に参加しました。CDMは、政府への抗議の意を示すデモや公共料金の不払い、店の営業取りやめなど、様々な非暴力の運動です。これに対し、ミャンマー国軍は実弾を用い、CDM参加者を殺害しています。

CDMに参加した公務員は、職場に戻れなくなり、多くの人が国内避難民として今も静かに抵抗を続けています。ミャンマーの国内避難民数は増え続け、2023年2月6日時点で161万8,200人に上ります。

国軍は法律を改正し(条項505Aの追加)、国軍を批判する投稿をSNSにしただけでも逮捕されるようになってしまい、今は情報発信すら難しくなっています。CDMに参加した人がいないか、ミャンマー国軍は、スパイを用いたり突然家に押し入ったりして探し、見つけ出すと逮捕や拷問、死刑、殺害などが待ち受けています。CDMに協力した人も捕まってしまうため、CDMに参加したいけれども仕事を失いたくない人は、連帯の意を表明することすらできません。

CDMに参加した人が避難し住んでいる家

CDMに参加した人が避難し住んでいる家

ミャンマーでは、必ずしも高給ではないものの、公務員(看護師、警察、教師等)であることはステータスであり、市民から尊敬の対象とされてきました。

しかしクーデターに参加し職を失ったCDM参加者は、職を失っただけでなく、国軍から逃れるために住む場所も失い、公務員というミャンマーでは特別なステータスも失いました。そのためCDMに参加した人は、金銭的にも精神的にも、とても厳しい状態にあります。

このようなCDMに参加した人や国内避難民の方への支援のため、ヤンゴンと周辺地域で、皆様からお寄せいただいた3,944,960円のご寄付を用いて支援活動を行いました。

具体的には、

  • 279人の市民不服従運動(CDM)に参加して失職した人に現金約6,500円(10万チャット)を配付しました。
  • 200人に新型コロナウイルス対策用の家庭用医薬品(マスク、経口補水液、消毒液、ビタミン剤等)を配付しました。
  • 747人に食料(米・乾麺・食用油)を、特に妊娠中の女性や障害のある人に優先的に配付しました。

食料を手渡しています

医薬品を手渡しています

配付した食料

配付した家庭用医薬品

支援を受け取った方々からのメッセージはこちらに掲載しています。ぜひご覧ください。

この活動は、現地で活動する支援団体のおかげで実施することができました。弾圧が厳しくなる中、支援を実施してくれた現地団体からの声もご紹介します。 「支援を実施するスタッフだけでなく、支援を受け取る方々の安全を確保することが大変でした。支援を受け取ったことが知られると軍から逮捕される可能性があり、目立たないよう慎重に活動を実施しました。」

CDMに参加せずに、今も公務員として働き続け、給料をもらっている元同僚を見ると、とても辛い気持ちになると、あるCDM参加者は言います。彼と彼の妻は公務員で、市民の側に立ちたいと、CDMに参加しました。職と家を失い、少数民族地域の田舎に移動し、潜伏生活の中で初めての子どもを授かりました。生活費はずっと親族頼みでしたが、これ以上はもう頼めないと、子どもが6か月になった時、妻と子を残し、一人マレーシアに出稼ぎに行くことを決意しました。CDMに参加したことが国軍にばれると、捕まってしまうため、空路での移動はできません。そこで彼は、タイ経由でマレーシアに行くことを決意しました。マレーシアに行くためにブローカーが要求してきたのは18万円。そんな大金を持ち合わせていなかった彼は、なんとかブローカーに頼み込み、一部後払いを約束してマレーシアに向かいました。しかしタイで摘発され、今はタイの拘置所にいます。拘置所では衛生用品が不足し、食事はスープでご飯はほとんど無いそうです。

タイ政府は、ミャンマーから逃れてきた人をミャンマーに追い返しています。これは明らかな国際法違反です(ノン・ルフールマン原則)。 タイ政府は、タイ国内にはミャンマーからの難民はいないと説明しています。しかし、先ほどの彼のように、ミャンマー国軍から追われ、生き延びるためになんとかタイに逃れようとする人は多くいます。タイに無事にたどり着けたとしても、言葉も文化も違うタイで生活するのは本当に大変で、正式な在留資格が無いとすぐに逮捕、拘留、強制送還されてしまいます。

そこでパルシックは、タイのチェンライ県で、在留資格を持たないミャンマー人が、正式な在留資格を取得できるよう支援する事業を日本政府資金(ODA資金)で実施しようとしました。しかし、何度掛け合っても、日本政府としては、チェンライ県にはミャンマー難民はおらず、いるのは金稼ぎが目当ての人だけであり、そのような人を政府としては支援できないと説明され、事業は実施できませんでした。

先ほど紹介したCDM参加者の彼は、金持ちになりたくてタイに来たわけではありません。クーデターにより職を失い、ミャンマー国軍に命を狙われ、家族を養うため、どうしたら生き延びられるかを考え、大きなリスクと知りながらも、それ以外に道が無く、タイに辿り着いたのです。チェンライ県にミャンマーから逃れてきた人はいないという、明らかに事実ではない説明を繰り返す日本政府の言葉を鵜呑みにするわけもなく、事業の不承認は全く納得のいかないものでした。

この事実を知ったある寄付者から、ぜひタイに逃れたミャンマー人のために私の寄付金を使ってほしいというありがたい申し出がありました。そのご寄付90万円を用いて、2022年11月から、タイのチェンライ県にある提携団体Aid Center for Migrant Workers in Chiang Raiを通じて、ミャンマー人移民労働者が正式な労働許可を得られるよう支援を実施しました。この内容についてはまた別の記事でご紹介したいと思います。

残りのご寄付約150万円は、ミャンマー国内の少数民族地域の子どもたちが学校で勉強を続けるために必要な文房具の購入に使いたいと考えています。 CDMに参加した公立学校の教師は学校に戻ることができず、したがって多くの学校が休校しています。新型コロナウイルス感染拡大の影響で2020年9月に学校は休校となっていたため、もう2年以上公教育を受けていない子どもたちが多くいます。

元教師たちの一部は、宗教施設や仮設住宅のような建物で、学校に通えない子どもたちに授業をしています。しかし公立学校とは異なり、給与は出ないため、生徒たちの親からの少額の寄付だけで、ほぼボランティアで授業をしており、生活は困窮を極めています。子どもたちもお金が無く、なかなか文房具を買えない状況です。

そこでパルシックでは、先生たちの給与と学校の教科書、そして子どもたちの文房具を支援する活動を始めました。いただいたご寄付のうち150万円程度を、こちらの事業で使用しようと考えています。こちらもまた別の記事でご紹介します。

仮設学校の子どもたち

2021年2月1日のクーデターから2年。ミャンマーの状況は悪化の一途を辿っています。 ミャンマー国軍は今月、非常事態宣言を6か月間延長し、戒厳令を発令している地域を増やしました。

一方、国民統一政府(NUG)首相は、今年中にミャンマー軍評議会(国軍)を打倒すると、ミャンマー国民に対して明言しました。 このような状況で、今後、各地で緊張が高まることが予想されています。

パルシックでは引き続き、ミャンマーでの活動を実施していきます。 どうか今後もミャンマーを忘れずに、ご支援いただければ幸いです。 どうぞよろしくお願いいたします。

ミャンマー事業への寄付ページへ

(パルシック東京事務所 ミャンマー事業担当)

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寄付を受け取った方々の声⑨ Iさん(中学校教師) https://www.parcic.org/report/myanmar/myanmar_support/21759/ Wed, 04 Jan 2023 06:15:55 +0000 https://www.parcic.org/?p=21759 Iさんはビルマ族の36歳女性で、夫と2人の娘の4人家族です。クーデター前、Iさんは公立中学校の教師として働いており、月収は204,000チャット(約15,912円[1])でした。今は安定した収入がなく、家族や寄付者からの支援に頼っています。Iさんは別の場所に移り、今は賃貸の家で過ごしています。Iさんの両親はクーデター政権の下で強制的に働かされています。

Iさんがクーデター前に住んでいた家

Iさんが現在住んでいる家

「この先どうなるのか、全然わかりません。私は国軍と関係のない仕事なら何でもやりたいです。私は市民不服従運動に参加し続けます。国軍は私の令状を出し、私を逮捕しようとしましたが、幸運なことに、私は逃げることができました。多くの同僚たちは既に国軍に捕まってしまいました。私たちとともに立ち上がってくれ、今日まで私たちを支えてくれている全ての人に感謝しています。私たちの革命はきっとすぐに成功すると信じています。どうか国軍による残虐な行為を非難してください。そして国軍に立ち向かう私たちとともに立ち上がってください。」

Iさん

[1]2021年1月のレート:1チャット=0.078円

※この事業は皆さまからのご寄付で実施しています。事業へのご寄付を引き続き受け付けておりますので、ぜひご支援をお願いいたします。

【ご寄付のお願い】ミャンマーの人たちへ、希望を持ち続けてもらうために

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[開催報告]<~知る・繋がる~ミャンマー連続講座>2022年度第4回 ミャンマーの民族問題と国民統合:カヤー(カレンニー)世界から https://www.parcic.org/report/myanmar/myanmar_support/21730/ Mon, 26 Dec 2022 08:11:41 +0000 https://www.parcic.org/?p=21730 2022年9月9日に開催しました「~知る・繋がる~ミャンマー連続講座2022」の第4回は大妻女子大学比較文化学部の久保忠行先生にお話しいただきました。お話の一部をご紹介します。

民族の捉え方

まず「民族とは何か」ですが、民族は部族(tribe)ではありません。部族は未開人を指す蔑称です。国家を構成する集団をNationと言い、日本語では国民や民族と訳されます。あらゆる国は多民族国家です。ここでの民族は「我々意識」や権利をもつ人間集団です。民族はどのように定義され、「我々意識」の源泉はどこにあるのでしょうか? 文化人類学では民族について様々な観点から研究されてきました。 

まず主観的定義:「私は〇〇民族だ」というものがあります。しかし「私はカレン民族だ」と言ったらカレン民族になるでしょうか? そうはなりません。次に客観的定義として、言語、宗教、地縁、血縁、慣習、伝統、文化、国籍等の指標によるものです。しかし、例えば両親がミャンマー人で日本国籍はない場合、日本生まれ日本育ちの子どもには国籍がありません。しかし日本語は話せるといったケースを考えてみれば分かるように、言語や国籍は、必ずしも「○○人である」ことの根拠にはなりません。

また原初的側面として、自意識や愛着は、言語、文化、宗教、神話、伝統などと不可分という考え方があります。しかしこれは本質主義的なものの見方で、「日本人は勤勉だ」など固定化してとらえる見方として問題をはらんでいます。対照的に道具的側面から民族を捉える見方があり、これは原初的な感情や愛着も、政治的に利用され構築されたものだという考え方です。確かに民族は構築されたものです。しかし、例えば、日本人の野球選手がアメリカで活躍していて嬉しいという感情は幻想だ、つくられたものだと切り捨てることはできるでしょうか。そこにある実感や感情はどう説明できるのでしょうか。

そこで民族とは何かを考える上では、民族はつくられたものであるにもかかわらず、自然なもののようにみえるのはなぜかを考える必要があります。そしてどのような権力が作用し、誰が特定の民族カテゴリーをつくっているのか、そしていかにそのカテゴリーが受容、維持されるのかを考えることが重要です。

名付け/名乗りとエスニック・バウンダリー論

次のような民族の捉え方もあります。それは、「我々意識」とは「名」の問題であり、名付けと名乗りの相互作用で「民族」が実体化するというものです。国家による名づけは、社会への秩序付けをあらわしています。例えば、ビルマは135民族だけれどもロヒンギャは含まないというものです。国家の名付けに対する名乗りは、国家による秩序づけへの服従をあらわします。しかし、名付けと名乗りの範疇は一致するわけではありません。名乗りは他者(第三者)の存在を前提にしています。民族の捉え方として大切なのは、名付けと名乗りが生じる具体的な状況を把握することです。

もう一つはエスニック・バウンダリー論というものです。この考え方は、文化的な差異があって異なる民族になるのではなく、集団と集団のあいだに境界線が引かれることで、差異だけが強調され、異なる民族カテゴリーが生まれるという見方です。

なぜ「異民族」が生まれるのでしょうか。地理的に近接し、行き来もある2つの民族集団が近くにいるからこそ、「あいつらはA人だが、おれたちはB人だ」と差異化します。大切なのは、これが「○○民族の○○文化」と境界線を固定して考えるのではなく、民族間の関係に着目し、その差異がつくりだされるプロセスに注目することです。例えば、高校野球というのは、最初は地方大会での県同士のたたかいですが、その後は全国大会となり都道府県同士の競技になります。今年、仙台育英が優勝すると、宮城県だけでなく東北の人たちが喜んでいる、という「東北カテゴリー」が強調されるようになります。このように文脈や関係性の中で集団をとらえることが重要です。

カヤー(カレンニー)の世界

次に話の舞台となるカヤー州(カレンニー州)についてです。カヤー州は、ミャンマー東部の最小の州で、タイのメーホンソーン県に隣接し、諸民族は国境をまたいで居住しています。1989年ころから現在に至るまで、タイ側には難民キャンプが設置されています。

カヤー州には旧日本軍が作った橋や日本刀などの遺物が残っています。また戦後補償の第一号として、カヤー州ではバルーチャウン水力発電所が建設されました。しかしこの電気は周辺の村には届かず都市部だけに届き、さらに送電線の下には地雷が埋設されて地元の人が犠牲になり、多くの批判がありました。

ミャンマーがイギリス領だった頃、カヤー州は(一説では中国への安全な交易ルート確保のため)名目上の独立の地位にあったため、ビルマ独立直前までビルマ連邦への参入を拒否していました。指導者の暗殺により連邦に加盟しました。しかし州の独立の機運はやまず、1957年にカレンニー民族進歩党(以下、KNPP)が結党し、その後の武装闘争の主体となりました。  

各地で内戦が起こりました。1980年代末までは、乾季は戦闘があるため住民はタイ側に避難し、雨季は休戦するので村に帰還していました。しかし90年代以降は強制労働、強制移動が行われ、帰還できなくなり難民生活が長期化していきます。ほとんどが山地のカヤー州では、国軍は、兵力や兵器で勝るものの地の利がありません。逆に武装組織は兵力や兵器では劣るので武力で国軍に勝てませんが、地の利を活かしたゲリラ戦を展開します。長引く状況に対して「いつ戦闘が終わるかわからない」と言われることがありますが、これは、国軍と抵抗軍の双方にとって「勝てないが負けもしない戦闘」が継続していることを指します。2021年2月のクーデター後に新たに始まったのが空爆です。国軍は地の利で制圧できないから空爆ですべてを破壊してしまうという行動に出ていると考えられます。  

さてKNPPは「民族」をもとにした抵抗運動を展開してきました。その運動の核となるのが、「歴史」や「言語」の教育です。2019年にはカヤー州の州都でアウンサン像を設置することに対し1,500人が反対のデモ活動を行いました。ミャンマー国内では諸民族の歴史教育は行われていません。しかしこうした抗議活動が起こること自体、国史とは異なる「もう一つの歴史」が人々の間に息づいていることが分かります。

KNPPが掲げる「カレンニー」もまた政治的につくられるものです。「カレンニー」とは他称で、自称は「カヤー」か「カヤーリー」です。カヤーは人間という意味の単語です。KNPPは州内の12の民族の総称をカレンニーとしました。しかしKNPPが独自に発明したカレンニー語は州内諸民族で多数を占めるカヤー語を表記したものであり、KNPPによるカレンニーはカヤー中心の運動でした。カヤーとカレンニーの関係は、ビルマ民族とミャンマーの関係に似ています。諸民族の世界には、国家の縮図があるのです。他方でKNPPの「名付け」に対して、人々が日常の場面でいかに「名乗る」のかをみてみても、その時々の文脈に依存することがわかります。

民族問題と国民統合

民族問題と国民統合を考えるうえで重要なのは、軍政による諸民族の分断です。諸民族の居住地は、国軍がうまく攻め込めない山地です。そのため、諸民族の武装組織を停戦させて、経済的な利権を与え、その組織を通して介入するという、諸民族同士が反目する構造を、軍政が意図的につくってきました。現在、PDF(市民防衛隊)に対抗する民族勢力もあります。三つ巴、四つ巴というのが全体の構造で、これは軍政が作った分断の構造です。状況は複雑ですが、複雑になればなるほど、国軍が無いとバラバラになってしまうという国軍の暴力を正当性することになってしまいます。もともとの原因は軍政がつくりだしたものであるにもかかわらずです。  

最後に部外者の役割についてです。私たち部外者は、「政治化された民族の語り」を聞く機会が多くあります。その民族像こそ紛争の過程で強調されてきたバウンダリー(境界線)にもとづくものです。他方で、現地の人々は「〇〇民族であり△△人」のような柔軟な帰属意識ももっています。部外者にできることは、「政治化された民族像」「本質化された民族像」を再生産しないようにすることです。

Q&A(抜粋)

Q 「ビルマ」と呼び続けるのは民主化運動家だけになってしまうのか。

A ミャンマーという呼称が90年代と比べるとかなり受容されてきている。民主化を求める人のなかにも、ミャンマーという名乗りをする人もいるので、ビルマでもミャンマーでも、どちらでも良いのではないか。決してビルマ民族だけのものになるというわけではない。

Q 政治化された語りを再生産しないけれど彼らの尊厳は尊重する、という対応は具体的にはどのようなものか?

A 民族や国民の意識(我々意識)がつくられる仕組みを明らかにすることが、その人たちの尊厳を傷つけるわけではない。日本人という自意識はどのようにつくられたのかということを解きほぐしていくことは、私の日本人らしさを否定するわけではない。政治化された語りを再生産しないというのは、本質主義的な民族像(例:日本人は勤勉)で単純化しないこと。

Q カレンニー語がつくられると、それ以外の少数民族も自分たちの文字表記をつくったという話について。元々書き言葉はなかったのか。

A 聖書でもちいられる書き言葉を持っていた民族と、そうでない民族の両方があった。聖書はアルファベットで自分たちの言葉ではないので、自ら文字をつくろうという動きがあった。タイ文字を模倣したり、ミャンマー文字を違う読み方にしたりして、独自の文字表記を製作する人も出てきたし、アルファベット表記の文字表記を使って教育を行う人もいる。例えばカヤンの文字はアルファベット表記。

Q アウンサン像への反対が特にカヤー州で盛り上がったのは何故か。

A 一番の理由は、アウンサンは私たちの英雄ではないという歴史観が息づいていたからだと思う。これが脈々と息づいていたのは何故か、今後調べる予定。

Q カヤー州はクリスチャンが多いが、ミャンマーは仏教徒が多い。宗教上の違いから相容れないと思われてしまうのか。

A これまでの停戦交渉では、カトリックの神父が軍政側とKNPP側を仲介したこともある。仏教徒だからこう、クリスチャンだからこう、という宗教に基づく分断をあまり認識してはいない。

もっと知りたい方は

ぜひ、久保先生の著書、『難民の人類学—タイ・ビルマ国境のカレンニー難民の移動と定住—』(清水弘文堂書房、2014年)を読んでみてくださいね。海外に移住した方々のお話や、タイの観光村についてなど、講演には入りきらなかった興味深いお話がたくさんあります。

(パルシック東京事務所)

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寄付を受け取った方々の声⑧ Hさん(警察官) https://www.parcic.org/report/myanmar/myanmar_support/21587/ Thu, 01 Dec 2022 05:57:42 +0000 https://www.parcic.org/?p=21587 Hさんは28歳のビルマ族の男性で、両親と兄弟の5人家族です。バゴー地方[1]出身で、警察官(副長官)としてモン州に赴任しており、月収は213,000チャット(約16,614円[2])でした。

Hさんがクーデター前に住んでいた家

クーデター後、市民不服従運動に参加したHさんに逮捕状が出されたため、Hさんは逃亡を余儀なくされ、カイン州へと移りました。今は竹で作ったテントに住んでおり、雨の日は特に大変です。Hさんは今、少数民族地域で開かれている小学校で、ボランティアで教師をしています。安定した収入はなく、生活は支援者からの寄付に頼っています。

Hさんが現在住んでいる家

「将来、何ができるのか全くわかりません。私は市民不服従運動に参加し続けます。今はとても大変な時ですが、決して後戻りはしません。国軍の独裁者たちは多くの人を拷問し殺害しています。国の様々な場所で家々を燃やし、村を壊しています。恣意的に人びとを拘束しています。私のような人は、森の中に逃げて隠れるしかありません。私たちとともに立ち上がり、私たちを支えてくれる全ての人に感謝しています。私たちの革命はきっとすぐに成功すると私は信じています。」

Hさん

[1]バゴーでは2021年4月9日の早朝、軍が市民を包囲し攻撃を開始、9時間にも及ぶ弾圧により、市民少なくとも82人が殺害された。その後も軍の監視下にある。
[2]2021年1月のレート:1チャット=0.078円

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【ご寄付のお願い】ミャンマーの人たちへ、希望を持ち続けてもらうために

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[開催報告]<~知る・繋がる~ミャンマー連続講座2022> 第2回 一コマ漫画/イラストでわかるクーデター後のミャンマー https://www.parcic.org/report/myanmar/myanmar_support/21541/ Tue, 22 Nov 2022 09:38:59 +0000 https://www.parcic.org/?p=21541 パルシック事務所インターンです。2022年3月4日に開催された「~知る・繋がる~ミャンマー連続講座」の第2回目はナンミャケーカインさんをお迎えして『一コマ漫画/イラストでわかるクーデター後のミャンマー』と題し、ミャンマーのクーデター後について理解を深める会となりました。今回はカイン先生のお話しについて報告させていただきます。

Parcic YouTubeチャンネルでアーカイブも公開しています!ぜひ、ご覧ください。

ミャンマーの主要年表

1948年にイギリスから独立した後、現在までにクーデターが3回起きています。

一コマ漫画

市民の暮らしや状況を一般社会に伝えるために一コマ漫画が多く描かれています。 今回はそのイラストを引用しながらクーデター後のミャンマーの状況について紹介していきます。

2021年2月にクーデターによる初の犠牲者が出ました。下のイラストはデモに参加していたチェー・シンさん(エンゼルさん)がクーデター軍に撃たれ亡くなった後、国際社会は何もしなかったことを表しています。

現在の若者は当たり前のようにパソコンに触れる機会があるため、若者はこの技術を使ってアプリを作ったり、グループチャットを使用したりしてデモ活動を呼びかけているそうです。このような若者は「キーボード・ファイター」と呼ばれています。

都市部でも一歩路地に入ると夜間には国軍が発砲したり、罵ったりしたそうです。

抗議デモに立ち上がっている若者自身に攻撃することができないような場合は、本人の母親や妹など身内を逮捕し、人質をとるようなことをします。

クーデター後の教育

クーデター後は軍によって学校が強制再開しましたが、教員は5割以上、生徒は8割がボイコットを行っており、学校に行かないことが暗黙の了解となっているそうです。

ミャンマーの授業内容は、復唱することが中心となっているそうですが、クーデター後は親からの話などによって復唱する言葉をアレンジし、子どもたちからも民主主義を求める声が挙がっているといいます。

さらに、子どもたちはクーデターによって将来のことを考えることができる状況ではないため、この状況をよくするために働きかけなければいけないと考えているそうです。

このような状況下の中、国際社会はミャンマーの状況について押し付け合っているとこのイラストは表しています。

現在の街中は、電気が供給されずに夜は真っ暗であったり、数えきれないほどの軍による放火があるそうです。

上記画像に示している通り、ミャンマー国内/国外では多くの方が避難を強いられており、靴を履くこともできないまま非難をしたり、お年寄りを助けることができず、置いていかざるを得ない状況もあるそうです。また、隣国のタイに避難することができず、ミャンマー側の国境近くには多くのテントが建てられていたり、そもそもテントすら建てることができない人もいます。

軍側は軍に有利な2008年の憲法を根拠に、これはクーデターではないと主張していますが、国際社会はクーデターであると認定する活動を行ってほしいといいます。 クーデター後は経済も悪化し、今回のクーデターに関しては過去最悪の経済状況となっています。

今回引用させていただいた以外にも多くの一コマ漫画があるため、興味のある方はぜひ「2021WART.org」と検索してみてください。

お話しを聞いてみて

日本でもクーデターが起こった直後は多くのメディアで取り上げていたことから目にする機会が多くありましたが、現在は目にすることも少なくなり、どのような状況になっているのかを知る機会がありませんでした。また、国際社会全体としても知られていないことが多いのではないかとも思いました。今回の一コマの漫画からも多くの情報を知ることができ、こういった活動を知ることも状況をよくすることに繋がるのではないかと考える機会になりました。

(東京事務所 インターン)

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寄付を受け取った方々の声⑦ Gさん(看護師) https://www.parcic.org/report/myanmar/myanmar_support/21393/ Tue, 25 Oct 2022 09:15:59 +0000 https://www.parcic.org/?p=21393 24歳のGさんは、保健・スポーツ省の看護師として働いていました。彼女はミャンマーの少数民族の一つであるカレンニー族で、クリスチャンです。クーデター前は、両親とともにカヤー州に住んでいました。当時の月収は19万8,000チャット(約14,000円[1])でした。しかし市民不服従運動に参加して職を失い、農家である父親の収入に頼っていました。

最近、ミャンマー国軍がGさんの暮らす村を襲撃し、家も含めて村ごと燃やされてしまいました。Gさんと両親は家を追われ、安全な場所を探して移動しなければなりませんでした。今はカヤー州の隣のシャン州にある国内避難民キャンプで暮らしています。Gさんの人生はとても困難な状況にありますが、全く諦めず、市民不服従運動に参加し続けたいと思っています。もし状況が良くなったら、収入を得るために裁縫を始めたいと思っています。

彼女が伝えたいという思いをご紹介します。

「市民不服従運動に参加したのは正しい決断でした。とても誇りに思っています。ミャンマー国軍にはとても苦しめられているけれど、私たち家族は抵抗し、私たちの国に民主主義を取り戻すというゴールのためにがんばっています。この大変な時に、貴重な資金援助をしてくださったことに、本当に感謝しています。いただいたお金で、両親のための医薬品と食料を買うことができます。ご寄付は私たちにとって大変意義深く、寄付してくださった方に心からお礼を申し上げます。私たちの国の状況はますます厳しくなり、ニーズも日に日に高まっています。心を寄せてくださったすべての方たちへ、ミャンマーの人たちへの支援を止めないでほしいと切に願っています」。

国軍により荒らされたGさんの家

[1]2021年1月のレート:1チャット=0.078円

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【ご寄付のお願い】ミャンマーの人たちへ、希望を持ち続けてもらうために

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[開催報告]<~知る・繋がる~ミャンマー連続講座2022> 第1回 ミャンマーのクーデターから1年5カ月:悪化する状況のなかで正義と希望を追究する https://www.parcic.org/report/myanmar/myanmar_support/20968/ Wed, 20 Jul 2022 05:40:25 +0000 https://www.parcic.org/?p=20968 6月24日に開催しました「~知る・繋がる~ミャンマー連続講座2022」の第1回は上智大学の根本敬先生をお迎えし、「ミャンマーのクーデターから1年5カ月:悪化する状況のなかで正義と希望を追究する」という題でお話しいただきました。たくさんの方にご参加いただき、ぜひアーカイブを見ていただきたいところですが、本記事では、お話のテーマのひとつである「希望」について、少しだけご紹介します。

Parcic YouTubeチャンネルでアーカイブも公開しています!ぜひ、ご覧ください。

2021年4月16日にクーデター政権への対抗政府として発足した国民統一政府(以下、NUG)は国民の強い支持があり、オンラインを使うことで会議をしたり、外国政府や市民と会ったり、税収を得たりしています。 2022年1月にはNUGをさらにバックアップする組織として、挙国一致諮問委員会(National Unity Consultative Council: NUCC)の第1回全国会議が開催されました。

しかし、いくらNUGが国民に支持され正統性があったとしても、NUGはオンライン政権であり、実効支配をしているのは現政権です。そのため各国は、ミャンマーに大使館を置いたりミャンマーにいる自国民の安全を確保したりするためには現政権を認めざるを得ず、NUGを承認した国家はまだありません。

しかし、NUGの発表によると、現政権による実効支配地域は徐々に減っています。もともと少数民族武装組織が活動していた山岳高原地帯だけでなく、現政権の力が強い平野部の一部でも、NUGにつく市民防衛隊(PDF)が支配し始めているのです。

今も国軍による弾圧は続き、2022年6月18日時点で2091人の市民が殺害され、75万人が国内避難民となっています。ミャンマーの人びとの未来が失われないために、国際社会は、国軍の収入減にターゲットを絞った人権制裁に日本を含め一つでも多くの国が舵を切り、ミャンマーへの武器禁輸を強化し、NUGの海外事務所を公的認知し、将来的にはNUGの政府承認も視野に入れるという方向で動く必要があります。

最後に根本先生は、ミャンマーの人に何かをしてあげるのではなく、共に支えあうという気持ちを持ち続け、いろいろなものを学んでいきたいと、お話を締めくくってくださいました。

以下に参加者の方からの質問と根本先生の回答をいくつかご紹介します。

Q: どういう人が軍人になっているのか?このような状況で、なり手はいるのか?

A: 徴兵制は無く、兵士は志願制。家族の1人か2人が兵士になると、基地の中に住むことができ、病院や購買所を利用できるという社会福利厚生のため、農村の貧しい家族が志願することが多い。数年の任期が終わると村に戻り、兵士の間に貯めたお金で店を開くこともある。一方、将校は士官学校で教育するが、世襲制ではないので、誰でも試験を受けて士官学校に進むことができる。しかし国軍に入りたいと思う人が減り、試験の競争力が落ちている。その結果、脱走が起きないように国軍内部の取り締まりが厳しくなり、市民の側につきたいけれども脱走できないから自殺したという兵士もいる。

Q:オーストラリア政府はミャンマー国軍若手士官を留学生として自国の大学に受け入れていたが、クーデター後に中止し、今年に入ってからは国軍を離脱した将兵を難民として受け入れている。一方で日本の防衛省はミャンマー国軍将校を留学生として受け入れ続けていることに関し、日本政府にオーストラリアを見習ってもらうために、私たちには何ができるのか。

A: 今年2月に防衛省職員に直接質問する機会があったが、暖簾に腕押しで、まともな回答を得られなかった。私たち一人一人があらゆる方法を使って日本政府に訴えていくしかない。身近に政治家と接触があれば、ことあるごとに訴えていくべき。

Q: (参議院選を前に)ミャンマーの民主化に協力的な政党を教えてほしい

A: 超党派の議員組織としてミャンマーの民主化を支援する議員連盟がある。しかし名前だけの議員もおり、議員連盟に入っていなくても民主化に寄り添う議員もいるかもしれないことから、候補者や政党をよく調べて投票してはどうか。

(パルシック東京事務所)

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寄付を受け取った方々の声⑥ Fさん(小学校教員) https://www.parcic.org/report/myanmar/myanmar_support/20963/ Tue, 19 Jul 2022 05:05:05 +0000 https://www.parcic.org/?p=20963 Fさんは28歳の女性で、クーデター前は小学校の教師として働いていました。Fさんの暮らしていた地域では、国軍の空爆や砲撃によって、何百人もの一般市民が殺害され、重軽傷を負い、多くの民家や宗教的な建物が破壊されました。その結果、高齢者や子どもたちを含む何千人もの人たちが森の中に逃げて間に合わせのテントで生活せざるを得なくなりました。しかしそこでも時々空爆があり、安全ではありません。

「市民的不服従運動(CDM:Civil Disobedience Movement)に参加して職を失ったあと、収入を得ようと私は古着を売りました。しかしそれは国軍が攻撃してここに避難する前の話です。今は両親と姉妹、叔母と一緒に避難しており、安定した収入はありません。物価が上がり続けているので、地元の農家ですら生活が苦しい状況です。今避難している場所は、あまり開発されていないので、あらゆる物が不足しています。電気も電話線も不十分です。子どもたちが教育を受けられるよう、私は今ボランティアで教えています。安定した収入を得られる仕事を探していますが、まだ見つかっていません。残虐な国軍に対して限られた資源で戦うのはとても難しいことは分かっています。しかし私たちは平等、民主主義、そして人権のために闘っているのです。私たちは正しいことをしています。運動を成功させるために、物理的にも精神的にも、あなたの助けが必要なのです。」

避難先で子どもたちに授業している様子

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