復興応援隊 – 特定非営利活動法人パルシック(PARCIC) https://www.parcic.org 東ティモール、スリランカ、マレーシア、パレスチナ、トルコ・レバノン(シリア難民支援)でフェアトレードを含めた「民際協力」活動を展開するNGO。プロジェクト紹介、フェアトレード商品販売など。 Fri, 21 Apr 2017 06:32:59 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.1 「石巻市情報交流館北上館」オープン、郷土料理にふれる https://www.parcic.org/report/ishinomaki/ishinomaki_supporter/9556/ Fri, 17 Jun 2016 05:47:02 +0000 https://www.parcic.org/?p=9556 北上の郷土料理に「とりわけ(とりまわし)料理」があります。

「石巻市情報交流館北上館」 って?

「石巻市情報交流館北上館」は、石巻市の復興情報を住民の方々に発信し、地域の人が団らんで集える場として建築されました。また、来賓や来客にとりわけ(とりまわし)料理を味わってもらい、北上の文化や食材の豊富さを知っていただくというコンセプトもあり、以前からとりわけ(とりまわし)料理に興味を持っていた私は、復興応援隊として運営に関わらせてもらうことになりました。

「石巻市情報交流館北上館」オープニング前

「石巻市情報交流館北上館」オープニング前

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料理にくぎづけの来賓と取材陣

 

こだわりのある郷土料理でおもてなし

まずは、以前に北上の食文化の調査をした際に中心的存在だった地元の方を通じて、その周りの主婦の方、地元の敬老会の婦人部の方たちに協力を仰ぎ、全面的にお手伝いをしていただきました。幸い、婦人部の方たちが住む地区は建物への震災の被害が少なく、公民館で使用していたお椀や小皿、大皿が残っていました。とりわけ(とりまわし)料理は、大皿で出てきた料理を好きな物を好きな量だけ取って食べる形式なので、料理だけでなく食器にもとてもこだわりがあることを知りました。当日は総勢10名ほどで、皆さんテキパキと調理をこなしていました。私も手伝ったのですが、その日はただあたふたするだけでした。この日のメニューは、つきたてのお餅をハゼの出汁で作った雑煮やあんこ餅、さらには北上の名物となりつつあるアワビ入りの北上茶わん蒸し、手作りの漬物の盛り合わせなどなど。紹介しきれないほどの種類の料理でおもてなしをしました。召し上がった皆さんは、お腹も心も大変満足しておられました。

これを機に、つながりが出来た地元のお母さん方と今後も関わり続けながら、北上の伝統を繋いでいくお手伝いができたらと思っています。

チームワーク抜群の頼もしいお母さんたち

チームワーク抜群の頼もしいお母さんたち

この日振る舞われた料理の数々

この日振る舞われた料理の数々

 

(復興応援隊 成田 昌子)

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2015年度の復興応援隊の活動 https://www.parcic.org/report/ishinomaki/ishinomaki_supporter/9590/ Mon, 14 Mar 2016 07:25:04 +0000 https://www.parcic.org/?p=9590 東日本大震災から5年の歳月が経ちました。パルシックは震災直後に緊急救援から始めた後、事業の拠点を宮城県石巻市北上町に置き、地域の漁業復興、仮設暮らしの皆さんへの農業支援を実施してきました。2015年度からは復興応援隊の活動のみに集中し、地域の復興を支援しています。復興応援隊は、総務省の事業で、被災3県が市町村と連携して、それぞれの地域の復興に取り組む人材を募って「復興応援隊」を結成し、一定期間地域住民の活動を支援するものです。パルシックは2012年12月に宮城県から復興応援隊事業を受託し、

  1. 住宅移転・まちづくりの支援
  2. かわら版の発行
  3. 子ども支援
  4. さまざまな地域のイベントのサポート

を行っています。

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北上町の高台移転が完了する2017年度末まで、復興応援隊事業で地域の住民さんの生活再建を支援していく予定です。2016年3月現在、応援隊活動に取り組む4名の応援隊員をご紹介します。

復興応援隊の声

佐藤 尚美

東日本大震災から5年を迎えようとしています。震災当時、私はパートをし、3人の子育てをしながら家族と北上町で暮らしていました。震災で主人がなくなり、その2年後から、北上地域復興応援隊として活動を始め、今年度で活動3年目を終えます。

2015年度は、主に「地域主体」を意識し、これまでの我々の取り組みを住民や地域に落とし込むための受け皿作りを中心に行い、まずは応援隊の後継組織「きたかみインボルブ」という若手の住民組織を結成しました。次の段階として、彼らが継続的に地域で活動出来る基盤創りに取り組んでいます。被災地の住民が望んでいることは、ここで普通に暮らすこと。復興とは、外観で図るものではなく、住民の実感からしか生まれないものだと思います。

インボルブ会議のようす

インボルブ会議のようす

成田 昌子

復興応援隊として今年度で3年目となりました。私の出身は北上地区の隣の地区で、私自身も被災しましたが同じ被災者目線で、物事を一緒に考えて活動していけたらと思い、応募した事がこの仕事を始めたきっかけでした。今年度の活動としては地域イベントの開催支援や地域向け広報誌「北上かわらばん」の取材、小学生対象の遠足や住民主体のまちづくりのワークショップ参加、ディサービスへヒアリングに伺い、昔の暮らし方や震災時の様子などを教えていただき、今後の課題となってくることは何かを探ってきました。今年度は人員が足りなかったこともあり、今まで以上に様々な活動や地域の方と関わる機会が多く、より良い経験となった1年でした。

デイサービスでのヒアリングのようす

デイサービスでのヒアリングのようす

遠藤博明

東京都出身。発災当時、私は建築専攻の大学生でした。春からは大学院に進学し、都市計画等の研究をする予定でいました。そんな時に起きた震災は私の考え方のターニングポイントとなりました。大学院進学後、私は宮城県石巻市牡鹿町の震災復興に携わる建築家の団体ArchiAidに学生スタッフとして加わり、2年間はその活動に充てられました。しかし、たった2年で震災復興なされるわけもなく、活動を続けたいと思った時にいただいた話が復興応援隊でした。支援地を牡鹿町から同じ石巻市の北上町へ移しましたが、大学院時代の支援経験と建築の知識を活かして、住民さんとの集団移転地計画策定のワークショップを主に手伝わせていただいております。

集団移転計画のためのワークショップ

集団移転計画のためのワークショップ

東 晶子

千葉県館山市で生まれ。2015年11月に復興応援隊として石巻市北上町で活動を始めました。これからの活動を海外に目を向けていたところを、知人が海外ではなく日本で抱えている震災や高齢化、過疎化などの問題をないがしろにすべきではないかと助言を受けて北上地区復興応援隊として活動する事を決めました。赴任してから、地域を知る事をモットーに月刊のかわら版の制作を行っています。地域によそ者が入り込むには共同作業だと考え、浜の仕事の手伝いや地域の行事に暇さえあれば参加しています。繰り返し足を運ぶ事で「また来てるの?」なんて声をかけてくれる方も。住民の方に牛歩ですが顔を覚えて頂けていると実感しています。

浜での作業を取材

浜での作業を取材

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白浜海水浴場 2日間だけの海開き https://www.parcic.org/report/ishinomaki/ishinomaki_supporter/9567/ Sun, 20 Dec 2015 06:14:23 +0000 https://www.parcic.org/?p=9567 石巻市北上町、震災後、閉鎖されたままの白浜海水浴場で、今年で3回目となる「2日間だけの海開き」が開催されました。2015年の開催は8月8日~9日の2日間で、海上運動会が同時企画されて来場者数800人を超える一大イベントとなりました。

当日は、悪天候で朝から雨模様。準備をする住民たちに溜息が漏れる中、予想に反して次々にやって来る人で、駐車場は満車の状態に。しばらくすると天気も持ち直し、運動会への参加希望者が後を絶たず、嬉しい悲鳴が起こりました。

海上運動会では、海の上にゴザを浮かべて走る海上ゴザ走りや、ビーチバレーなど5種目を実施。中でもヌルヌル相撲は、出場者のコミカルな動きに会場中から笑いが沸き起こりました。

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『海上ゴザ走り』は、大人たちも大盛り上がり

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『ちびっこ宝探し』で一生懸命宝探しする子どもたち

最終的に、運動会へは総勢200名以上が参加しました。今年は、毎年主催していた住民有志「白浜海水浴場再開実行協議会」に加え、地域づくり住民団体「きたかみインボルブ」との共同開催となりました。彼らは全員、普段はそれぞれの職業を持ち、その傍らで空いた時間を利用して市民活動をしています。平日の日中に動きが取れないのが常なので、そんな中で準備をバックアップするのがここでの北上復興応援隊の役割です。今年は、地元の中学生も計画・準備の段階から参加し、何度も海で試走をしたり、競技の小道具を作ったりと大活躍しました。準備は、失敗を笑いあったり、互いに本気で意見し合いながらの作業。成功した時の感動を子どもたちと一緒に体験し、また来年の話ーにまで会話が膨らむ。海開きそのものより、地域にとっては深い意味のあるものであったと思います。

(復興応援隊 佐藤 尚美)

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2014年度の活動を振り返って https://www.parcic.org/report/ishinomaki/ishinomaki_supporter/9609/ Sun, 15 Mar 2015 08:14:21 +0000 https://www.parcic.org/?p=9609 2014年度で一番印象深かった活動は、昨年5月の北上春祭りに「集落という枠を超えた地域内での横の繋がりを作りたい」という思いで挑戦した、白浜集落の獅子舞の復活です。

北上春祭りでの白浜の獅子舞復活

北上春祭りでの白浜の獅子舞復活

もちろん、主な目的は白浜集落の獅子舞を復活させることでしたが、その復活を隣の浜の大室集落のお祭りの席で果たせたのは異例中の異例でした。白浜集落のみなさんがそれを受け入れてくれるであろうかと心配もしながら提案をした所、思っていた以上に反対意見はありませんでした。震災後初ということで、住民の協力で約2か月間の練習をし挑んだ復活。集落の男性達の多くも大室まで足を運び、白浜の獅子舞で幕を開けた”北上春祭り”を笑顔で喜び、歓声が沸きました。迎えてくれた大室の皆さんに感謝し、浜と浜との新しい結びつきが出来たようで、本当に嬉しかった事を思い出します。

この経験は、どんな外部からの支援よりも、地域内の横の繋がりが地域力に直結する、と実感できるものでした。

私は日々、「応援隊としての成果は何で測ることができるのか?」と考えていました。「応援隊が関わることによって住民がどう変わったか」ということであろうと、実体験として感じられた活動でした。

来年度も引き続き、着地点を常に意識し守りと攻めをバランスよく地域に仕掛けていけたらと思っています。

(復興応援隊 佐藤 尚美)

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