コミュニティ復興支援 – 特定非営利活動法人パルシック(PARCIC) https://www.parcic.org 東ティモール、スリランカ、マレーシア、パレスチナ、トルコ・レバノン(シリア難民支援)でフェアトレードを含めた「民際協力」活動を展開するNGO。プロジェクト紹介、フェアトレード商品販売など。 Tue, 18 Apr 2017 08:23:10 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.1 「津波の来ない、安全な場所で暮らしたい」集団高台移転 https://www.parcic.org/report/ishinomaki/ishinomaki_community/1111/ Thu, 19 Jul 2012 15:00:21 +0000 http://test.parcic.org/?p=1111
全壊した北上総合支所。指定避難所になっており、報道では57名の住民や職員が避難していたが3名の生存しか確認できなかった。

全壊した相川小学校。みな、裏手の道から高い場所にある避難所に逃げたそうです。

2011年8月27日に相川地区で行われた「防災集団高台移転促進事業」説明会の様子

一番初めは、「不安なこと」「期待していること」などいくつかの質問に一人ずつ答えてもらい、どういう課題があるのか見えるようにその場で整理していきました。先生方の司会と学生のメモ&まとめという作業連係が見事でした。

集まった地域によって、なかなか意見が交わされない会や笑顔で冗談を言い合う会など、ほんとうに様々です。

ざっくりとした予定地の図面が用意できた集落では、意見を出し合いその場でどんどん図面に描きこんでいます。

津波で大きな被害を受けた石巻市北上町十三浜。576世帯(2010年)が暮らしていましたが、477戸が全壊(大規模半壊から一部損壊が127戸 ※2012年3月の確認時点)と十三浜全体が被災。さらには、お互いほとんどが仲の良い知り合いか親戚同士というこの地域において、138名の死亡と83 名の行方不明という事実は、あまりにも重く、その悲しみは計り知れません。

被災から2ヶ月が経った、2011年5月18日。十三浜の相川地区の住民は、もう二度と同じ目に合いたくない、将来の地域住民のために、安全な高台へ集団 移転をしたいと石巻市に要望しました。相川地区は十三浜漁業集落の中心地。郵便局や漁協、各種お店があり、十三浜の中では多い80~90世帯の人々が暮ら す集落でした。住民は十三浜を代表し、各集落それぞれに「安心して暮らせる高台」へ、漁業者が多いことから「海が見える場所」へ、移転したい旨が伝えられ ました。

それから、石巻市と十三浜相川学区との話し合いがはじまりました。パルシックが石巻市北上町へ入ったのは7~8月ですが、8月下旬にはすでに、相川地区の 行政委員の方をはじめとする集落の代表者、そして石巻市北上総合支所の担当職員、建築の専門家の方々が集い、国が造成費(水道・電気などのインフラも含ま れる)を全てまかなうことが可能な「防災集団移転促進事業」について説明が行われていました。ですがこの事業は名前の通り「今住んでいるところが危険だか ら移転を必要とする」場合の制度で、「危険」と判断する元の集落のある場所(津波の被害を受けたところ)はすべて「危険エリア」として居住を建てないこと を決めなければなりません。「集落の移転」を望んでいる相川学区のみなさんにとっては当然と思っていたことでも、時間が経つほどに迷い、戸惑う方もあった ようです。

パルシックは、石巻市北上町で復興支援をしようと決めてから、北海道大学の宮内教授にアドバイスや協力を求めてきました。宮内教授は9年前から石巻市北上 町の生活や文化について調査研究していた方です。そんな折、宮内教授と旧知の仲であった石巻市北上総合支所の今野照夫さんから「十三浜の高台移転をめぐっ て、住民主体の話し合いや合意形成作業を、利害のない外部の人間が間に入ることで、円滑に進むよう調整してほしい」との要請がありました。今野さんは北上 町の高台移転に関して説明会から話し合いまですべてを引き受けています。

その要望に応え、10月末よりファシリテーターと記録・まとめ作業として宮内教授や宮内教授の元ゼミ生で一緒に石巻市北上町で調査をしていた(現在、大学 の先生を務める)方々、生徒を招き、各集落における高台移転の合意形成について話し合うワークショップのお手伝いをしています。また、日本建築家協会東北 支部の方々がこうした北上町の動きをボランタリーに支援しており、集落の将来像の希望を出し合うだけでなく、それを実際の造成の実施設計に反映してもらえ るような絵を描く作業も行っています。

これまで立派な家で家族を養い、大きな作業場でそれぞれに漁業に必要な道具を収納していた漁業者にとって、この制度が得なのかどうか分からない面も多くあ りました。ワークショップの中で出てきた疑問や要望が制度の中で可能なのかは、北上総合支所の今野さん方が石巻市や国に確認したり、要望を挙げ続けるな ど、懸命に住民の希望ができる限り叶うよう働きかけてきました。地権者も同集落の方である場合が多く、譲りたくないとの声が聞こえたときは住民が直接地権 者に相談しました。希望した造成地は今野さんに提案され、津波のシュミレーション結果の検討や、造成地に予定戸数と避難道路が確保できるかの検討などが進 められました。

当初は高台移転したいかどうか、という話し合いでしたが、現在は具体的に、造成地のどこに集会所を置くのか(主にどういうときに使うか)、家の向き(巽の 方角など)はどちらが良いか、年間行事がどういう風に行われるかなど、集落のコミュニティを反映した「高台移転造成計画」が住民の手によって考え進められ てきています。その希望がすべて造成の実施設計に反映されるとは限りません。それでも、できる限り叶うように、住民・専門家・行政・NPOが連携し「住民 が希望する高台移転」をサポートしています。高台移転を考えている被災地の中ではずいぶんと進んでおり、十三浜の小室集落はいち早く防災集団高台移転促進 事業の国土交通大臣同意を得ました。現在は相川学区のみならず、石巻市北上町の被災集落全体で、高台移転が求められるエリアで話し合いの場が設けられてい ます。

漁師の思い、若い世代の葛藤、女性の話、集落を離れた方など、お伝えしたいことはたくさんありますが、別途またレポートします。

(パルシック 日方里砂)

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