みやっちの東ティモール滞在日誌 – 特定非営利活動法人パルシック(PARCIC) https://www.parcic.org 東ティモール、スリランカ、マレーシア、パレスチナ、トルコ・レバノン(シリア難民支援)でフェアトレードを含めた「民際協力」活動を展開するNGO。プロジェクト紹介、フェアトレード商品販売など。 Tue, 18 Apr 2017 08:29:55 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.1 東ティモール滞在回顧 https://www.parcic.org/report/archive/miyacchi_tl/6312/ Thu, 09 Oct 2014 06:14:16 +0000 https://www.parcic.org/?p=6312 最近、コーヒーに関するツアーや各地からの視察などで、東ティモール国内で日本人と接触する機会が増えたように感じます。そのせいか、パルシックの現地スタッフたちは、日本語を覚えたいと「これは日本語で何て言うの」と尋ねてきて、訳してあげると、すぐに片言ながら話しかけてきます。きっと僕が東ティモールに来て現地語であるテトゥン語を勉強していた頃も、こんな感じだったのだろうなと、思い返します。

  • OHAYOU(おはよう)
  • KON-NICHIWA(こんにちは)
  • KON-BANWA(こんばんは)
  • ARI-GATO(ありがとう)

この辺りは、入門編といったところでしょうか。ときには、

  • 時は金なり (Oras nee mak osan mean)
  • 働かざる者食うべからず (hakarak haan, tenki servisu)

こんな言葉まで!

一方、僕のほうは東ティモール事務所に着任してから1年半が過ぎました。理解しているようでまだ十分理解できていない部分が沢山あり、なんとかここでの生活にしがみついている状態です。長期での海外滞在は、僕自身初めての経験で、そのため慣れない環境で何度も体調を崩すことがありました。その度に色々な人に助けられています。特に現地スタッフには「健康が一番大事」といつも言われ「俺たちが行くから休んでなよ」と頼もしい言葉も掛けてくれます。(といいつつ、事務所の外を見るとお喋りしてる、なんてことがしばしばあるのですが。)

現地スタッフと。

現地スタッフと。

そんなこんなで、日々楽しく過ごしています。
(東ティモール事務所 宮田悠史)

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Tradisional aimoruk (伝統薬) https://www.parcic.org/report/archive/miyacchi_tl/4538/ Thu, 22 Aug 2013 07:08:39 +0000 https://www.parcic.org/?p=4538 現在、活動地マウベシはコーヒーシーズン真っ只中です。東ティモールは日本と正反対の南半球に位置するので、現在は寒い時期にあたります。東ティモールは雨季と乾季に分かれ、現在は雨が殆ど降らない乾季です。そのため空気も乾燥し、車が通るたびに発生する土埃は一層勢いを増しています。バイクに乗るティモール人も防砂マスクは欠かせなくなっているようです。

日本にいると冬は肌が乾燥し、カサカサしたりかゆくなったりします。それは東ティモールでも同じで、乾燥肌の僕は、ここのところ、かゆみに苦しんでいます。

そんな状況を看過できずにいた東ティモール人パルシックスタッフの5名は、夜な夜な議論の末、ティモールの伝統薬「tradisional aimoruk(英訳:traditional medicine)」(ちなみに具体的な名前は特に無いそうです)を、ある日僕に試してみてくれました。

材料は、

①ahu (石灰) – 1袋10¢(約10円)
②lakeru tahan (カボチャの葉)
③少量の水

です。

◆ 作り方
1. カボチャの葉に石灰を少量のせて包みます。
2. 少量の水を加えながら、石ですりつぶします。
3. すりつぶしたものを患部に塗ります。
その結果がこちら!⇒ ⇒ ⇒

提案者のネルソンさんは「これで絶対に良くなる!現地の人は皆これでかゆみが納まる」と、薬を塗りながら僕に暗示のように語りかけ続けました。一日待った結果、tradisional aimorukを塗り、洗い流すまで患部のかゆみは抑えられました。しかし、赤みなど他の症状は治まらず、本当にかゆみだけが抑えられたのでした。

(東ティモール事務所 宮田悠史)

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みやっちの東ティモール滞在日誌 #10 ~東ティモールと日本人~ https://www.parcic.org/report/archive/miyacchi_tl/4339/ Wed, 24 Jul 2013 06:52:12 +0000 https://www.parcic.org/?p=4339 日本人ネットワークの「日曜日ソフトボール」

東ティモールに在住する日本人は、現在120名ほどといわれています。首都ディリにいれば、たまにすれ違うことがありますが、地方にいるとなかなか日本人と会う機会はありません。

そんな東ティモールの日本人ネットワークの強化に貢献しているのが、Happy East Timor (通称:ハピチモ)というメーリングリストです。どのくらいの人数が参加しているか定かではないですが、色々な情報の共有が出来る貴重な場でもあります。

毎週土曜日になると、主催者の方から「日曜日ソフトボール」のお知らせがメーリングリストに流されます。東ティモールでソフトボールが盛んというわけではないのですが、娯楽の少ないティモールにおいては、一つの気分転換になるかと思います。僕も着任以来、お知らせは受け取っていたものの、中々参加できず、先週初めて参加しました。

近くの学校のグラウンドを借りて、朝8時30分頃から2時間くらい練習(or 試合)をしています。日曜日の朝というと、日本だとゆっくり寝ている時間ですが、東ティモールの昼間はとても暑くなるので、朝涼しい時間に合わせてやります。試合は参加人数次第で、先週は12人いたので6人対6人に分かれて試合をしました。当然人数が少ないので、2回ファウルしたらアウトにするといった、ルールの工夫もしました。ランニングホームランが出るなど、スコアは17対16という結果になりました。

準備運動にラジオ体操をして試合に臨みましたが、久しぶりに体全体を動かしたので、次の日まんまと筋肉痛になってしまいました。とても楽しかったので、また次回も参加したいと思います!

(東ティモール事務所 宮田悠史)

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みやっちの東ティモール滞在日誌 #9 ~日本帰国、そしてティモールへ!~ https://www.parcic.org/report/archive/miyacchi_tl/4337/ Sat, 20 Jul 2013 06:45:08 +0000 https://www.parcic.org/?p=4337 日本へ一時帰国、そしてティモールへ戻ってきた!

僕が担当しているプロジェクトの1年目が終了するのに合わせて、6月末から約3週間、日本に一時帰国していました。

今年の1月から東ティモールに来て約半年、森林保全と循環型農業プロジェクトに従事しました。プロジェクトでは、アグロフォレストリーを目指して薪用樹と果樹の苗木を配ったり、薪の使用量を減らすために改良かまどやロケットストーブを試したり、はたまた豚や蜂を追っかけたりしています。農業や国際協力について学んできた僕にとって、とても濃い時間を過ごすことが出来ていると感じます。

公用語のテトゥン語での生活も、簡単なコミュニケーションから身振り手振りを交えたミーティングまで何とか出来るようになりました。食事や生活も特に不自由なく、マウベシの寒い水浴びさえ我慢すれば、暑いディリでの水浴びは快適にも思えます。何度か高熱を出しながらもマラリアには幸い罹っておらず、これもマラリアの特効薬に使われている「キニーネ」という成分が入ったトニックウォーターのおかげかな、と勝手に思ったりしています。日本で販売されているトニックウォーターには、残念ながら入っていませんが…。

さて、帰国中の日本はというと、想像していた以上に「暑かった」のが一番の印象です。まさか暑い東ティモールから帰ってさえ「暑い」と感じるとは思いませんでした!さらに、日本へ帰国後「日本食で食べたい物ある?」と良く聞かれました。不思議なくらい、自分自身パッと食べたいものが浮かんでこず、友達の誘いにも少々困ったくらいです。

そんな中、日本食で感動したのは「そうめん」でした。意外かもしれませんが、日本にいた時に、夏に家でよく食べていました。あまり欲がなかったせいか、ふと食べたこの「そうめん」がなぜかとても印象に残っています。

またここ東ティモールに戻ってきた!懐かしのマウベシの風景

またここ東ティモールに戻ってきた!懐かしのマウベシの風景

半年ぶりの実家も満喫し、東ティモールに戻ってきました。テトゥン語に全く触れない3週間の間「忘れてしまうのではないか」という衝動にも駆られドキドキしましたが、ディリへ向かう飛行機の中でテトゥン語が聞こえてとてもホッとしました。

活動地マウベシで一番忙しくなるコーヒーシーズンも始まっています。今年はあいにくの雨続きで、これから先どうなるか読めない部分が多く不安な面もあります。そんな不安も払拭するべく、また1年気合いを入れて頑張っていきたいと思います。

(東ティモール事務所 宮田悠史)

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みやっちの東ティモール滞在日誌 #8 ~初!マウベシへ~ https://www.parcic.org/report/archive/miyacchi_tl/3471/ Tue, 05 Feb 2013 06:40:06 +0000 https://www.parcic.org/?p=3471 初!マウベシへ

朝10時、ディリ事務所を出発。前日積みきれなかった苗木をピックアップするため、途中Dare(ダレ)に立ち寄りました。一緒に出発したはずなのに、黒いHILUXに乗ったMaritoさんとAdelinoさんがなかなか到着しません。30分ほど遅れて、ダレで合流。仕事で使うノートPCを忘れたのに気付き、ディリ事務所に戻っていたとのこと。ついでに昼食用のパンも買ってきてくれました。同世代であるElvisとぼくのコンビは、まだまだ甘い所があるようで…もっとしっかりしなきゃ!

ダレでは、Raimundoさんという苗木を作っている方の所に寄り、食用となる作物(オレンジ、レモン(ライム)、マンゴー、アボカド)の苗木をトラックの荷台に積み込みました。

 

トラック一杯の苗木

出発前ディリ事務所にて。トラック一杯に苗木を載せて、いざマウベシへ!

 

車で約4時間の移動を終え、ようやくマウベシ事務所へ到着。ぼく自身、初マウベシ!ということで、PARCICマウベシ事務所スタッフの方々に挨拶をしました。自分の名前と「よろしくお願いします」をテトゥン語で話すと、「勉強してきたんだね」と言われ、掴みはまずまず。マウベシではテトゥン語は必須なので、これからが正念場になります。気合い入れよう!

 

マウベシ事務所から撮った風景

マウベシ事務所から撮った風景。トウモロコシ畑が広がる。

 

昼食をパンだけで過ごしたぼくたちは、改めて遅めの昼食を。マウベシ事務所では、昼と夜、ジュリアナさんという方が食事を作ってくれます。手作りご飯を用意してもらえるなんて幸せです!ちなみに、朝は自分たちで用意するそうです。

休憩をはさんで明日の仕事に備えてミーティング。クロロ地区30軒の農家へ苗木を配るための段取りの確認をしました。もちろん、テトゥン語でのミーティングだったので十分に理解ができず、日本人スタッフのシゲさんに再度確認。その後、Elvisと一緒に資料の準備を行う中、先の忘れ物の件もあったので、落ち度がないようにと拙いテトゥン語で奮闘。分らない言葉は、紙に書いたり書いてもらったり。Elvisも汲み取ってくれているようで、何とかお互いの言いたいことは伝わっている模様。

18時過ぎ。仕事を終え、マウベシ事務所のスタッフは各々帰宅。事務所の中は男性だけになってしまいました(笑)夕食を取り、仕事の続きをしたり、リラックスしたり、夜の過ごし方もさまざまです。

 

夜のマウベシ事務所

男だらけの夜のマウベシ事務所にて。

 

夜は涼しく、気温は20℃。首都ディリは夜でも28~29℃あり蒸し暑く、マウベシの涼しさは快適に感じました。気温だけではなく、インフラも場所が変われば変わります。マウベシにも電気は届いており、電柱もありますが、水へのアクセスは限られています。事務所の調理場では、大きめのポリバケツに水を溜め、食事や飲料水にその水を使っています。トイレや風呂の水も限られており、ディリ、そして日本において水へのアクセスが容易であることがいかにありがたいことか、しみじみ感じました。

(東ティモール事務所 宮田悠史)

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みやっちの東ティモール滞在日誌 #7 ~初仕事!苗木のpick up~ https://www.parcic.org/report/archive/miyacchi_tl/3445/ Mon, 04 Feb 2013 03:05:41 +0000 https://www.parcic.org/?p=3445 初仕事!苗木のpick up

3週間のテトゥン語レッスンが終わり、いよいよ現場での初仕事になりました。不安と期待が入り混じる中、農家の方へ配る苗木を引き取りに、リキサ県マウバラ郡にある農業省林業部門の育苗施設を訪れました。

この育苗施設では主に木材となる苗木を育てており、今回はモクマオウ、モンキーポッド(合歓木)、インディアンマホガニー、セイロンオーク(マホガニーの苗木がなかったので)の計4種類を引き取りました。

 

苗木を育てている施設

苗木を育てている施設。柱に鉄のパイプを使い、黒い寒冷紗(日よけ)で覆ってある。

 

途中、トラックを運転していたMaritoさんが、2002年にPARCICが机や椅子の配布を行った学校や、日本のNGO“オイスカ”の圃場などを紹介してくれました。過去には、日本も東ティモールを占領していた時期があります。それでも歴史的事実を受け止め、戦後の国づくりを経験した日本が、東ティモールの国づくりに貢献できていることはとても意味のあることだ、と改めて思いました。

ところで、いよいよ現場に到着し、900株近くの苗をPARCICスタッフ3人と助っ人2人の計5人でトラックに積み込んだ時のこと。苗木を種類ごとに分け、必要数がきちんと揃っているかどうかを、拙いテトゥン語で再三確認したのですが、返ってくる答えが何を言っているのかよく分からないんです。それもそのはず、数字は‘インドネシア語’が使われていたんです!買い物する時も同じです。不思議!・・・ということで、僕はテトゥン語に加え、簡単なインドネシア語(最低でも数字は)も勉強する必要性が出てきました。英語にテトゥン語にインドネシア語・・・これも「郷に入っては郷に従え」のことわざにあるように、東ティモールの人たちに合わせる努力をしろということでしょう。テトゥン語に言い直してもらったり、紙に書いてもらいながら、何とかマウバラでの苗木の積み込みを終えることができました。

 

苗木の一つモンキーポッド

苗木の一つモンキーポッド。別名、テトゥン語で “matan-dukur” 目を閉じるの意で、その名の通り、昼間は葉が閉じ、涼しくなると葉が開く。

 

夕暮れが近づく頃、施設を出発してディリに向かいました。帰り道、道端で売られていたバナナをMaritoさんが買ってくれました。日本で売られているバナナと違い、丈は短く、しかしながら味は濃厚でした。食べ終えた後、少し喉に乾きを感じましたが、お腹もすっかり満たされ、海を横目にディリへと帰りました。

 

帰路、バナナをほおばる

帰路、バナナをほおばる。奥に映っている運転手がMaritoさん。

(東ティモール事務所 宮田悠史)

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みやっちの東ティモール滞在日誌 #6 ~ミクロレットに乗って市内見学、と豆まき~ https://www.parcic.org/report/archive/miyacchi_tl/3465/ Sun, 03 Feb 2013 05:50:50 +0000 https://www.parcic.org/?p=3465 ミクロレットに乗って市内見学、と豆まき

今日は休日の東ティモールですが、朝からあいにくの雨模様。家でゴロゴロしていたのですが、雨が止んだのを機に、ディリ市内見学を開始しました。といっても、自転車では移動距離が限られてしまうため、市内を走るミクロレット(ミニバス)に乗ってお出かけです。

ミクロレットはディリ市内を1番~10番のルートで走っています。日々ミクロレットの数字を見ては、スタッフの大坂と「10番に乗ればとりあえず事務所に帰れる」なんて話をしながらも、何番がどのルートを走っているのかちゃんと分っておらず、上手く活用できていませんでした。そんな話をテトゥン語レッスンで同じクラスだった青年海外協力隊員の方にしたら、「ミクロレットのルートマップを持ってるよ」というので、お願いしてコピーしていただきました。

 

東ティモールのミニバス「ミクロレット(mikrolet)」。

東ティモールのミニバス「ミクロレット(mikrolet)」。
休日のディリ市内をめぐる交通手段として利用中。

 

「まずは10番を制覇!」と、人差し指で合図をして乗り込みました。人がいっぱいで乗れない時は、合図をしても止まってくれません。女性や子供、お年寄りを優先的に席に座らせ、男の人は出入口に掴まったりして乗っています。外国人は(あまり利用することがないかもしれませんが)席に座らせてくれます。

市内にある学校や市場、政府機関の建物などを眺めながら乗ること約1時間。事務所の近くに戻ってきたので、車内のポールをコインで「カンカン」と音を鳴らし、「止まって」と合図をします。車内は音楽が流れていたりして少々うるさいのですが、運転手さんはちゃんと止まってくれます。

 

PALACIO DO GOVERNO(パラシオ・ド・ゴベルノ)

PALACIO DO GOVERNO(パラシオ・ド・ゴベルノ)
通称パラシオゴベルノ。東ティモールの国会議事堂です。

 

一回の乗車で25センタボ(25円くらい)と聞いていたので、25センタボを渡そうとすると「50センタボだよ」と言われ困惑。ニュアンスから「1周乗ってたんだから倍の値段だよ」という風に解釈し、お金を支払いました。これも経験です!それでも、片道25センタボなら、タクシーに乗るよりもずっと安く済みます。

さて、2月3日といえば日本では「節分の日」。つまり豆まきの日!ということで、スタッフの伊藤家にて、ミチヨさんという方からいただいた豆まきセット(節分豆+鬼のお面)で豆まき大会開催!「鬼は外」「福は内」と豆をまくのは何年ぶりでしょう。ぼくは、終始“鬼”の役にされ、追い出されてばかりでした(笑)。

 

鬼のお面。

鬼のお面。被るときにつけた輪ゴムがキツく、豆まき終了後、少し耳が痛かったです。

 

そして豆まきを終え、豆を食べるタイミングになりました。伊藤家の子供たちは豆の味が気に入ったらしく、年齢の数だけ豆を食べるはずが、何度も年の数だけ豆を食べていました。「たくさん食べたから、もう大人になっちゃったねー」なんて冗談を言いながら、みんなで楽しく過ごした節分の日 in 東ティモールでした。

(東ティモール事務所 宮田悠史)

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みやっちの東ティモール滞在日誌 #5 ~東ティモールスポット特集~ https://www.parcic.org/report/archive/miyacchi_tl/3341/ Sat, 02 Feb 2013 07:33:44 +0000 https://www.parcic.org/?p=3341 東ティモールスポット特集 「ラルゴ・デ・レシデ(Largo de lecide)」

首都ディリの東寄り、海岸沿いに位置しており、昨年の大統領選前に新たに整備され、人々の憩いの場として利用されています。ブランコやシーソーがあるので子供連れの家族が遊びに来たり、Wi-Fiが使えるため、ノートパソコンを持ってきてFacebookをする若者がいたり、ヤシジュースを売るおじさんがいたり、などなど。

ラルゴデシエデの文字

ラルゴ・デ・レシデ(Largo de lecide)の文字。車の行き来が多く、ちゃんと撮るのが大変でした!

 

WiFiスポット

WiFiスポットは若者の憩いの場に。

 先日、栃木県にある“アジア学院(ARI)”という農業を勉強する学校で約1年近く勉強していた、東ティモール人の“ジュリアオンさん”と知り合う機会がありました。ぼくも栃木県出身で、学生時代にアジア学院へ何度か足を運んでいたという経緯から「今度一緒に勉強しましょう」という流れになりました。

土曜日の午後、僕はテトゥン語、ジュリアオンさんは日本語を一緒に勉強する約束をし、ラルゴ・デ・レシデで待ち合わせをしました。海を眺めつつ時折吹く潮風に揺られながら、ジュリアオンさん、3日前に日本語を勉強し始めたというアノさん、僕の3人で会話をしながら有意義な時間を過ごしました。2時間近く勉強しましたが、ほとんどぼくへのテトゥン語レッスンに時間を費やしてくれました。ありがたい限りです。ぼくはというと、ひらがなの五十音を読み書きしたくらい。彼らは、教会でシスター中村(日本人で東ティモールに長期滞在されている)という方に、定期的に日本語を教わっているそうです。 3日前から勉強を始めたアノさんも、日本語で簡単な挨拶ができるくらい話せてびっくりしました!

海辺の景色

海辺の景色。魚採りや船に乗っている人もちらほら。

勉強が終わった後、「勉強を始めてまだ3週間なのに、上達が早いよ(的なニュアンス)」「ティモールの人はテトゥン語で話すのが好きだから、これからも積極的に会話したほうがいいよ。きっとテトゥン語で話しかけてくれるのを楽しみにしてるから」という言葉をいただき、正直、焦っていた気持ちが少し軽くなった気がしました。東ティモール生活もまだまだこれからですが、テトゥン語をもっと勉強してペラペラ話せるようになりたいと思います。

ミクロレットで一緒に帰り、途中で降りて買い物をしていて、ふと「写真を撮るの忘れた」と思いだしました。ついつい勉強に夢中で…次の機会には3ショットの写真をお披露目できればと思います。

(東ティモール事務所 宮田悠史)

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みやっちの東ティモール滞在日誌 #4 ~普段の生活「家の中」編~ https://www.parcic.org/report/archive/miyacchi_tl/3331/ Fri, 01 Feb 2013 03:20:36 +0000 https://www.parcic.org/?p=3331 普段の生活「家の中」編

こんにちは。首都ディリでも、夜は26~28℃くらいと、(ぼくは)そこまで寝苦しくない日々が続いています。

「こんにちは」はテトゥン語で「botardi(ボタルディ)」と言います。テトゥン語はアルファベットで書かれ、発音は書いてある字をそのまま読みます。英語のように複雑な発音はほとんどなく、喋りやすいかなと思います。

さて、東ティモールに赴任してから通っていたテトゥン語のビギナーコースが2月1日に終了しました。英語もろくに出来ない状態で、レッスンについていけるか最初は不安でしたが、一緒に受講したクラスメートや先生、同じ学校に通うティモールの学生など…多くの人に助けてもらいながら、なんとか3週間乗り切ることができました!もちろん、東ティモール事務所のスタッフにも色々と教えてもらい、事務所でコーヒーの袋詰めをしながらの会話は貴重な無料レッスンでした。まだまだ会話もたどたどしい状態ですが、ティモールの人たちと良き関係を築いていくためにも、継続して勉強していきたいと思います。

コーヒー袋詰め後。会話も大事ですが、パッキングもコツがあるようでなかなか大変。

コーヒー袋詰め後。会話も大事ですが、パッキングもコツがあるようでなかなか大変!

話は変わり、普段の生活「家の中」編をお送りします。現在寝泊まりしているディリ事務所は、電気や水のアクセスも整い、インターネットも東ティモールの電話会社「Timor Telecom」を通じてなかなか快適に利用できています。新聞「Timor Post」もありますが、内容を理解するにはもう少し時間がかかりそうです。コンロと水道があり料理をすることも可能ですが、ご飯はもっぱら“ワルン”というインドネシア料理のお店で食べたり、“ナシブンクス(インドネシア語でお弁当の意)”にして家で食べています。“ワルン”や食事については、また別の機会にお話しします。寝床は、木製高床ベットに布団を敷き、蚊に刺されないよう蚊帳で覆ってあります。トイレと風呂は一緒で、水風呂です!気温が低いときの水浴びは堪えます(笑)。しかしながら、このように住環境が整っているのは首都ディリに限られているそうで、地方のインフラ整備等はまだまだ不十分だそうです。

ディリ事務所内

パルシック ディリ事務所

最後に、ディリ事務所では一人生活なのですが、夜になるとお友達が続々と現れます(笑)

アリ、トカゲ、ネズミ、ゴキブリ…始めのうちは何とか共存しようと頑張ってみたのですが、日本でも大敵であるゴキブリには特に苦しめられています。時期なのか分からないのですが、一日に見かける数が両手で数えきれないくらい…しかも日本のゴキブリと違いバンバン飛んで移動して、こちらが攻撃しようとすると立ち向かってきます(泣)。勉強していると机に飛んでくるので、最近は格闘しています。蚊とゴキブリにはこれからも立ち向かっていきたいと思います!

(東ティモール事務所 宮田悠史)

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みやっちの東ティモール滞在日誌 #3 ~首都ディリの様子~ https://www.parcic.org/report/archive/miyacchi_tl/3286/ Tue, 29 Jan 2013 02:36:13 +0000 https://www.parcic.org/?p=3286 首都ディリの様子

最近は貴重な雨が降り続いている東ティモールから、街中の様子をお届けします!

首都ディリでは道路の舗装も進み、日本製の中古車やバイク、“ミクロレット”というミニバスなどが街中を行き交っています。道端では小さなマーケットが軒を並べ、農産物や衣類などが売られ、露店では携帯電話も売られています。

そんな街中に一際目立つ建物があります。それが“ティモールプラザ”です。昨年オープンしたばかりの東ティモール唯一のデパート(5階建て!)で、食料品やいろいろな業種のお店はもちろんのこと、なんとホテルや映画館まで併設されているのです!道路の向かい側にはバナナやヤシの木が生えているような場所で、まさかそこまで開発が進んでいるとは・・・!と、最初に見たときは衝撃的でした。ただ、ティモールプラザを利用している人は、ある程度の収入があるティモール人や、他国から訪れて滞在している外国人がほとんどです。それでも、子供を連れて涼みに来る人や憩いの場としてたむろしていたりと、みんな楽しんでいるように見えます。

TimorPlaza

2011年にオープンした唯一のデパート、ティモールプラザ。2012年12月には東ティモールでは大規模なファッションショーも行われた。

 

ティモールプラザの向かい側。

ティモールプラザの向かい側。まだ閑散としている。

首都ディリではホテルなど新しい建物が新設されていますが、都市から少し離れるだけで、このような光景とはほぼ無縁となります。経済的格差が、農村から人材が流出する原因の一つでもあり、仮に都市へ出てきたとしても、職に就けずに厳しい生活を強いられている人がいるのもまた事実です。それでも、道ですれ違うぼくのことを「何だコイツ」という目で見ながらも、話しかけると笑顔で声をかけてくれたり、大家族の賑やかな日常を見て、人と人とのつながりを身近に感じることができたり、バーチャルな世界でつながり合う日本の現代に欠けているものが東ティモールにはあるのでは、と思うことがあります。

まだまだこれから先どのような未来をも歩んでいける東ティモール。街の景色が変わっていったとしても、きっと人との繋がりは無くなることはないだろうと願いたい。そして、物質的な豊かさが実現された日本は、今何を求めているのか、東ティモールの地でゆっくり考えてみたいと思います。

(東ティモール事務所 “みやっち”こと宮田悠史)

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