スリランカ滞在記 – 特定非営利活動法人パルシック(PARCIC) https://www.parcic.org 東ティモール、スリランカ、マレーシア、パレスチナ、トルコ・レバノン(シリア難民支援)でフェアトレードを含めた「民際協力」活動を展開するNGO。プロジェクト紹介、フェアトレード商品販売など。 Thu, 20 Apr 2017 10:06:00 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.1 スリランカ農村暮らしの日々[15] https://www.parcic.org/report/archive/deniyaya/1944/ Fri, 28 Sep 2012 15:00:51 +0000 http://test.parcic.org/?p=1944
[写真1] 隣近所総出の準備。我が家のターッタ(お父さん)も、もちろん毎晩準備に大忙しでした。

[写真2] 訪問者に振る舞う料理の準備も大仕事です。

[写真3] 右側に幕が掛かっていて、顔が見えないように座っている二人が今日の主役です。この幕は、儀式の途中から外されます。

[写真4] 狭い庭先で、踊り狂う呪術師。写真では分かりにくいのですが、イケメン3兄弟でした(笑)。

[写真5] この仮面は日本の鬼の仮面のようですが、他にもお爺さんとお婆さんなどの仮面を付けて、冗談や下ネタばかりの劇が続きました。

アーユーボワン(シンハラ語で「こんにちは」)。スリランカの南部の農村では現在でも、悪魔払いが盛んに行われます。民俗的な医療行為として行われることが多いようですが、私がいる村では雨乞いなどもあり、色々な目的があるようです。今回は、ちょうど私がホームステイをさせてもらっている農家の両親の家で悪魔払いが行われたので、その様子をご紹介します。

今回、行われた悪魔払いは、結婚してから随分時間が経ったが子供に恵まれない二人の女性のために、二人に憑いている悪魔を払って、子宝に恵まれるようにというものでした。悪魔払いを行う家では、3、4日前から準備に取りかかります。バナナの茎から器用に儀式に使う小物を作ったり、大きな板を組み立てたり。毎晩、夜遅くまで作業が続いたようです(写真1)。

悪魔払いの儀式は夕方から始まり、夜を徹して翌日早朝まで続きます。そして、この悪魔払いには、当該の村のみならず隣村からも大勢の人が見物に来ます(写真2)。当日の夕方から悪魔払いのための呪術師の踊りが始まります。踊りの合間に、生け贄が捧げられたり、呪術師が患者さん(写真3)に聖水のような水を与えたりして儀式が続きます。夜中の12時くらいまでは、太鼓奏者は太鼓を鳴らし続け、呪術師は踊り続けます。

悪魔払いの呪術師は、特定のカーストに属していて代々受け継がれる仕事で、普段は他の生計手段を持っている人も多いとのことです。今回の悪魔払いの呪術師はお父さんを中心に、息子3人、親戚1人というメンバーでした。松明を持って、クルクルと回ったり、飛んだりしながらの踊りは、なかなかダイナミックで圧巻でした(写真4)。

夜中の12時になると、一転雰囲気が変わりました。踊りは終わり仮面劇が呪術師によって演じられます。色々な仮面を次々と付け替えて、様々な短い、主に喜劇が演じられます。この喜劇は朝の6時くらいまで続けられました(写真5)。

正直言って最初、この悪魔払いの目的を聞いた時には、素朴に「え??」と驚きました。しかし、実際に参加してみて、村中の人々が集まり長時間一緒に儀式に参加しているのを見ると、村社会の中でお互いがお互いのことを心配しているよ、気にかけているよという確認作業として、悪魔払いが行われているのかな、と感じました。この場合は、赤ちゃんが欲しい2人に対しての気遣いという、日本であればそっとしておくべきと考えられるような場合でしたが。

(パルシック 高橋知里)

 

 

 

 

 

 

]]>
スリランカ農村暮らしの日々[14] https://www.parcic.org/report/archive/deniyaya/1937/ Sat, 04 Aug 2012 15:00:01 +0000 http://test.parcic.org/?p=1937
[写真1] 講師から堆肥の作り方について説明を受ける

[写真2] ずらっと綺麗に並んだ茶木の苗

[写真3] 研修から戻ってから、ピヤシリさんは土壌改良のためのミミズを育て始めました。青いタンクの中には丸々と太ったミミズが。。。

[写真4] 標高が高く気温が低いので、イチゴなんかも生っています。普段は目にすることの無いイチゴを、珍しがって摘もうとしているK.G.サラットさんの息子。

アーユーボアン(シンハラ語で「こんにちは」)。随分とご無沙汰してしまいましたが、その間ジャフナへ行ったり、シンハラ語の集中特訓を受けたりしていました。また、デニヤヤでは、一緒に有機転換に挑戦するべく新たに25軒の農家が仲間入りしました。

今回は、7月初めにプロジェクト参加農家総勢50名で行った視察研修についてご紹介します。視察研修先は、紅茶で有名なヌワラエリヤ県にある紅茶研究所(Tea Research Institute)という所で、国の研究機関としてスリランカ紅茶栽培研究の大本山と言えるところです。この紅茶研究所のモホッティ博士が、有機紅茶栽培の、特に私たちのいるデニヤヤを含む低地紅茶(標高600m以下で栽培される紅茶)の有機栽培の第一人者ということで、訪問してきました。

研修では、まずスリランカ紅茶栽培の歴史についての概要(紅茶を作っている農家自身は、意外にスリランカ紅茶の歴史については知らないのです)、堆肥の作り方や施肥の効率の良い方法(写真1)、土壌管理、苗床の管理(写真2)の仕方などを学びました。また、この研究所では、有機栽培の畑と非有機栽培の畑を長期間比較観察しており、参加農家は有機栽培の茶畑が土壌や茶の木の健康状態、茶葉の収穫量に優れていることを畑を実際に見て確認することができました。

有機栽培と非有機栽培の比較研究を見学できたことは、農家にとって励みになったようです。また、参加した農家はこの研修で得た知識を早速試し始めています(写真3)。遠路はるばるヌワラエリヤまで大所帯で行った甲斐がったと思います。というのは、ヌワラエリヤはデニヤヤのあるマータラ県の隣の県ですが、この研究所までは片道11時間の道のりだったのです。総勢50名の移動でしたので、普段村を走っているバス(急で狭い山道のため、小型のバスしか走れません)ではなく、大きなバスをチャーターしました。出発は研修前日の夜中の12時でした。とは言っても、ここはスリランカですので、結局、デニヤヤを後にしたのは1時半くらいでしたが。とにかく、夜中にデニヤヤを発って、標高の高いヌワラエリヤまで、どんどん山道を登って行きました(写真4)。予定していた道が土砂崩れで通行止めのため、急遽遠回りしたのも、11時間のロング・ドライブになった要因でした。研究所に到着した11時半頃から研修を始め、4時頃には研究所を後にし、再び山道をひたすら走り、夜中の2時頃デニヤヤに戻りました。しかし、ちょうど小さなハリケーンがあったらしく、村までの道の途中で大木が倒れており、途中から歩いて村まで戻るという、最後まで中々にハードな1日でした(写真5)。

ところで、いつも農家のおじちゃんたちと旅行をすると帰り道のバスの中は、みんな歌って踊って過ごしています。老若男女に関わらず、みんなが同じ歌を歌います(世代に関わらず、同じ歌を知っているのです)。これは日本では中々無い光景だと思い、スリランカの素敵なところだなと思っています。

(パルシック 高橋知里)

]]>
スリランカ農村暮らしの日々[13] https://www.parcic.org/report/archive/deniyaya/1932/ Tue, 05 Jun 2012 15:00:21 +0000 http://test.parcic.org/?p=1932
[写真1] なんだか日本のお盆を思い出す光景でした。

[写真2] 各家から手作りランタンを持ち寄り、お寺に飾ります。ランタンと共に下がっているカラフルな旗は、仏教の旗です。

[写真3] いつものポーヤとは違い、ウェサックではオイルランプを菩提樹の葉を模した形に並べて火を灯します。

アーユーボアン(こんにちは)、デニヤヤの高橋です。今回は、スリランカの仏教徒にとって最も大切な祭事の一つである、ウェサック・ポーヤについて紹介します。

スリランカでは毎月の満月の日はポーヤ・デーと呼ばれる休日となっています。その中でも5月のポーヤは、ウェサック・ポーヤといい、ブッダの生誕・涅槃・入滅の日と伝えられています。正直なところ宗教的なことはよく分からないのですが、ウェサックは4月のスリランカ新年に続いて、人々が盛り上がるお祭りであることは確かです。社会的な機能が色々とストップしますし、学校はウェサックに続く1週間はお休みでした。

ウェサック前後は、町中がランタンで飾り付けられます。このランタンは毎年、家族で手作りされるのが基本のようですが、コロンボでは当日の1・2週間前から、ランタンを売る店が道路脇に連なっていました。村では、軒先に手作りのランタンが下げられます(写真1)。そして、夜は村のお寺にみんなが集まり、ランタンを飾り付け、(写真2。)、オイルランプに火を灯し(写真3)、礼拝をします。

そして、ウェサックでは「ダンサル」も各地で行われます。ウェサック当日、地域コミュニティや宗教団体によってダンサルが様々な場所で開かれ、食事や飲みものが人々に提供されます。誰が行っても歓迎されて、たくさんの種類のカレーや、アイスクリームなどが振る舞われます。ちょうどウェサック当日、私はコロンボからデニヤヤへバスで移動していたのですが、道路脇にいくつものダンサル会場を見ました。人々が集まって、食事や会話を楽しんでいました。ただし、人々が楽しんでいるダンサルですが、衛生管理について少し問題視されているようです。というのは、規模の大きなものは衛生管理局に事前に登録され、衛生状況をチェックされているようですが、登録されていないものも多数あり、衛生管理体制が問題とされているようです。私はスリランカに来てから、普段は食品の衛生管理にそんなに特別に神経質になる必要がなかったので、新聞でこの問題についての記事を見た時は、少し驚きました。

私は村で比較的静かなウェサックを過ごしましたが、テレビではコロンボやマータラ、他の都市での飾り付けの様子が紹介され、随分とにぎわっているようでした。遊園地の夜のパレードのような電飾でキラキラに飾り付けられた山車のようなものが並んでいました。

ところで、ウェサックは仏教徒のお祭りですが、テレビでは大統領や他の宗教の指導者たちが一緒にウェサックの儀式に参加している様子が紹介され、それぞれがウェサックによせてのトークをしていました。すべてシンハラ語でしたので、詳細は分からないのですが、みんな一様に「宗教の違い越えて国を発展させていかなくてはいけない」というようなことを話していたようです。これが単なるお祭り騒ぎでのパフォーマンスでは無く、実際に宗教間、民族間の対立の解消につながる具体的な政策として進められることを望んでやみません。

(パルシック 高橋知里)

]]>
スリランカ農村暮らしの日々[12] https://www.parcic.org/report/archive/deniyaya/1927/ Sat, 10 Mar 2012 15:00:44 +0000 http://test.parcic.org/?p=1927
[写真1] フォートの高台から見たミュージック・フェスティバルの会場

[写真2] 動きが激しくて上手く写真に写っていませんが、火を振り回したり、飲み込んだりと中々の迫力。子供の頃から練習しているそうです。

[写真3] 踊り狂う農家のおじさんたち(笑)。私も一緒に踊りの輪の中に引きずり込まれました。

アーユーボワン(こんにちは)、デニヤヤの高橋です。先日、ゴールという南部で一番大きな街で行われたミュージック・フェスティバルに行ってきました。もちろん、村の農家のみんなも一緒です。日頃、デニヤヤとキリウェラガマを往復しているバスをチャーターして、村からゴールまでの道のり片道約3時間半を総勢50人以上でのちょっとした観光でした。会場はゴール・フォート(オランダ植民地時代に築かれた要塞都市で、現在でも市街として機能している)の隣でした。多くの村の人々にとっては、ゴール・フォートを見学したことがなかったので、ステージが始まるまでの間、皆でぞろぞろとフォート内を見て回ることもできました。

このミュージック・フェスティバルは、スリランカ国内および海外の団体がパフォーマーを集めて開催したもので、観覧料は無料です。第1回は内戦終了後のイベントとして、昨年北部のジャフナで開かれました。今後はジャフナとゴールにて交互に開催されるそうです。

今回はゴールで2日間にわたって、国内および国外からプロやアマチュアのミュージシャンやダンサーなどが集まり、野外ステージ(写真1)でパフォーマンスが繰り広げられました。その他にも、スリランカ国内のそれぞれの地方から伝統文化を披露するためのブースが会場内に設置されていました。残念ながら私たちが会場に着いた頃には、既に最終日の最終ステージが始まる直前で、各ブースは閉まっており、どんなものがあったのかを見ることはできませんでした。また、NGOなどが各地の物産を販売するブースもあり、私たちデニヤヤのキトゥルパニも少し出展しました。

ステージは夕方5時頃に始まり、時間と共に観客も増え、盛り上がっていきました。伝統舞踊では、南部の悪魔払いのファイヤーダンス(写真2)が迫力でした。夜も9時を過ぎた頃から音楽も現代のノリのいいものになっていき、おとなしく座って鑑賞している人はいなくなりました。みんな立ち上がって思い思いに踊ったり、一緒に歌ったりと大盛り上がりでした(写真3)。私も一緒に踊りの輪の中に引きずり込まれました)。帰りのバスでも興奮冷めやらず、夜中の12時をとっくに回っていましたが、特に元気のある若者は村に着くまでバスの中で、歌って、踊って盛り上がっていました。普段は比較的単調で静かな生活が繰り返される村ですが、たまにこういったイベントに参加すると、おじさんたちの違った一面が覗かれてとても面白かったです。

(パルシック 高橋知里)

]]>
スリランカ農村暮らしの日々[11] https://www.parcic.org/report/archive/deniyaya/1922/ Mon, 20 Feb 2012 15:00:20 +0000 http://test.parcic.org/?p=1922
学校自体は村の奥まったところにあり、小さな子供が毎日通うにはなかなかの距離があります

授業の前のお祈りの時間。きっちりと背の順に並んだ後ろ姿がかわいらしいです

お祈りの後は、朝の会。皆の前で一人ひとりが、詩を披露したり、歌を歌ったり、作文を読んだりします。

アーユーボワン(こんにちは)。今回は、私が滞在しているキリウェラガマ村の学校についてご紹介します。 前回の日誌でも少し触れたように、村の学校はとても規模が小さく、1年生から5年生までのプライマリーと呼ばれるレベルしかありません。全校生徒は35人で、現在女の子はたったの1人です!校舎は長屋風の建物に職員室、教室2つが並んでいます。先生は、校長先生、英語の先生、プライマリーの先生3名の計5名です。

全校生徒35人と言いましたが、実は私が訪問したこの日はたったの5人しか登校していませんでした。というのも、この学校に来ている子供の多くが、貧しい家の子供であるため、家の仕事の手伝いが忙しく、学校での勉強まで手が回らないという状況にあるからです。校長先生の話しによると、小さな子供の登校率は高いが、大きくなるにつれて家での働き手としての重要性が増すため、登校できない状態にあるとのことです。また、登校しても、遅刻、早退が非常に多いそうです。こういった状況のため、5年生まで無事に終了することができても、文字の読み書きに不自由する子供も中にはいるそうです。また、この学校での学年は1学年から5学年ですので、普通であれば5歳から10歳までの子供が通っているはずですが、中には13歳やそれ以上の子供もいます。入学時期が遅れたり、中退してしまった子供が復学したりという場合にこういうことが生じています。

スリランカの識字率は90%以上と、途上国においては非常に高い識字率を誇っています。また、スリランカでは11年生(15歳)までは義務教育です。授業料、制服、教科書代は無料です。ちなみに大学まで学費は無料です。しかし、この村の学校に通う子供たちは、5年生までのプライマリーを終えた後、半数くらいしか6年生には進学せずに、教育を終えてしまうそうです。家の働き手として益々重要とされることに加え、6年生以降も通学を続けようとすると、隣村や町の学校にバスで通わなくてはならないことも要因です。

スリランカに来てすぐ、特にコロンボなどの都会では、子供がモノ売りをしているという状況をほとんど目にすることが無く、インドなど他の南アジアの国に比べて「さすが教育への高い意識!」と感動していました。私がホームステイさせてもらっている家の子供たちや、周囲の子供たちは、町の大きな学校に通い、学校の後は塾にも通っています。しかし、ふと視線を移すと、農村ではこのキリウェラガマの学校に通う子供たちがいるというのも現実です。

(パルシック 高橋知里)

]]>
スリランカ農村暮らしの日々[10] https://www.parcic.org/report/archive/deniyaya/1916/ Sun, 05 Feb 2012 15:00:54 +0000 http://test.parcic.org/?p=1916
オリンピックに倣って灯火台に火を燈して開会です

低学年の子供たちは、風船早割り競争に参戦。みんな真剣です

低学年の子供200人くらいによるダンス

鼓笛隊の先導に従い、高学年の子供たちがグラウンドを1周します

アーユーボアン(こんにちは)。デニヤヤは現在、運動会の季節です。私は2つの学校の運動会を見学させてもらいました。2つの学校はそれぞれ規模、生徒数が違い、同じ運動会でも雰囲気が異なっていて面白かったです。

1つ目は隣村のキリウェラドラの学校です。この学校にはGrade 1からGrade 11まで、年齢にすると5歳から16歳の子供、約140人が通っています。グランウンドは原っぱに草を刈ってコースを作ったという、こぢんまりとした感じです。種目としては、徒競走、リレー、高跳び、ダンスなどでした。観覧父兄が参加するリレーもありました。リレーコースの途中で水かけ役が待ち構えていて、走っている父兄に容赦なくバケツの水を浴びせるという、観客みんなが大興奮・大爆笑のレースでした。また、先生たちの水掬い競争などがあり(バケツリレーのようなもので、手ですくった水をできるだけ早く、こぼさないように次つぎに渡してビンに詰めて、早くビンが一杯になったチームが勝ち)、いつの間にか私も参加することになり、わいわいと楽しむことができました。招待してくれた先生たちは、グラウンドに色々な設備が無いので子供たちがかわいそうだと言っていましたが、子供たちは十分に楽しんでいたように見えました。

2つ目は、ホームステイさせてもらっている家の子供たちが通っている町の学校です。この学校には、Grade 1からGrade 14までの5歳から18歳までの子供が通っています。周辺の村々から生徒が集まっているので、全校生徒は3,000人になる大きな学校です。グラウンドは広くて立派で、何とコンクリート造りの観覧席まで完備です。ダンスもマーチも上述のキリウェラドラの学校とは人数が全く違うので、迫力が違いました。キリウェラドラの学校でもそうでしたが、運動会の終わりはマーチで終わるのが定石のようです。この学校では、来賓を招いての運動会は私が見学させてもらった当日のみでしたが、年明けから1ヵ月は、ほぼ毎日がスポーツ行事だったらしく、クリケットやバレーボールの試合が行われていたそうです。我が家の子供たちは毎日ヘトヘトに疲れて帰宅していました。ちなみに、クリケットというのは、非常に簡単に説明すると、ピッチャーがボール投げて、バッターが打つという野球に似たスポーツです。日本ではあまり聞かないスポーツですが、現・元英連邦諸国(スリランカ、インドその他南アジア、アフリカ諸国、オーストラリアなどなど)では非常に人気のあるスポーツです。スリランカではクリケット選手は子供たちにとって(大人にとっても?)スーパースターなのです。

さて、私の住んでいるキリウェラガマの学校の運動会は?というと、残念ながらキリウェラガマの学校は規模が小さく、また子供たちの出席率も低いため、こういった行事は行われないのです。わが村キリウェラガマの学校の様子については、また次回にでもご紹介させていただきたいと思います。

(パルシック 高橋知里)

]]>
スリランカ農村暮らしの日々[9] https://www.parcic.org/report/archive/deniyaya/1910/ Thu, 26 Jan 2012 15:00:05 +0000 http://test.parcic.org/?p=1910
コンポストづくりの研修を真剣に受けている参加農家

胡椒やレモンの苗木の配布の様子。受け取りながらも、ばっちりカメラ目線のアーリアラトネさん

この日はお寺の一角を借りてミーティングが行われました。

左側の男性がサラットさん。ピンクのシャツの女性はニシャマーリさんで、共同でプロジェクトを進めている現地NGOのコーディネーター。

アーユーボアン(こんにちは)、キリウェラガマの高橋です。これまではこの日誌でスリランカの村での生活について紹介させていただいてきましたが、今回はいよいよ真打ち登場!ということで、私たちのプロジェクトに参加している農家について紹介したいと思います。

紅茶の有機転換プロジェクトには、現在25軒の小規模農家が参加しています。スリランカの紅茶というと、広大な敷地にどこまでも広がる茶畑というイメージを持っている方もいらっしゃるかと思いますが、私たちの25軒の農家は、本当に小さな茶畑(だいたい2,3エーカーが畑の平均面積です)を所有していて、家族単位で経営しています。この25軒の農家は昨年から、化学肥料や化学殺虫剤などを畑に撒くのを止め、牛糞や植物から作ったコンポストを畑に撒き、土壌の改善に取り組んできました。もちろん、コンポストもPARCICから配布された牛を飼育して、参加農家が自分たちで作っています。また、単一の植物を栽培し続けることによる土壌の劣化を防ぐため、胡椒やレモンを茶畑で栽培しています。

参加農家は、紅茶栽培に関しては長年の経験もありプロフェッショナルですが、これまで化学肥料を使い続けてきており、彼らにとって有機栽培は初めての取組みです。また、牛の飼育をしたことがない農家も多数おり、色々と初めてで疑問や不安を抱えることがあります。そこで、私たちは参加農家が全員集まり、お互いに疑問や不安を話合ったり、経験から教えあったりできる場所として、定期的にミーティングを開いています。先日、今年初めてのプロジェクト参加農家が集まるミーティングが開かれました。普段の農作業は、お父さんとお母さん、時に子供たちも手伝い、家族全員で行われているのですが、こういったミーティングや研修には家族を代表してお父さんが参加します。お父さんが参加できない場合は、お母さんや子供が参加することもあります。

もちろん、定期的な集会の他にもアドバイザーがほぼ毎日、農家を直接訪問して何か問題がないかどうか、要望がないかどうかなどを聞いて歩いています。この農家訪問をしてくれているのが、サラットさんです。彼も同村に茶畑を持つ農家ですが、以前有機栽培について学ぶ機会があり、現在は他の農家のアドバイザーとなってくれています。

私は村にホームステイをさせていただいているので、普段の生活の中でもしょっちゅう参加農家と顔を合わせる機会があります。いつも冗談を言っているおじさんや、高い声で歌いだすおじさん、弾丸トークで話し出すと止まらないおじさんなど、非常に個性的な仲間です。本当は、農家のおじさん一人一人を紹介したいくらいですが、それはまたの機会にしたいと思います。

(パルシック 高橋知里)

]]>
スリランカ農村暮らしの日々[8] https://www.parcic.org/report/archive/deniyaya/1904/ Sun, 15 Jan 2012 15:00:48 +0000 http://test.parcic.org/?p=1904
最初は私に対しておっかなびっくりという感じだったが、すぐに打ち解けてくれた子供のお坊さんたち

子供のお坊さんと今回この旅行に誘ってくれたニシャマーリさん

ナイスショットは子供のお坊さんによるもの

スバ・アルット・アウルダック・ウェーワー(明けましておめでとうございます)。少し遅くなってしまいましたが、今年最初の日誌になりますので、新年のご挨拶をさせていただきました。とはいっても、スリランカの新年は4月になりますので、この言葉を村の人たちと交わすチャンスはなかったのですが。。。新年は4月なのですが、学校は12月が年度末となり12月中旬から1月初めまで休みとなります。そして、この年度末休み中は家族旅行のシーズンでもあります。今回は、家族旅行ではないのですが年末に行った聖地カタラガマへの旅行についてご紹介したいと思います。

今回、知り合いに誘ってもらい参加したのは、お寺の日曜学校の先生の慰安旅行でした。ちなみにお寺の日曜学校では、地域の子供たちが仏教について学んでいます。通常の学校でも授業科目として仏教がありますが、授業では仏教の歴史背景について中心に学び、日曜学校では日々の生活の中での信仰について学んでいます。参加者は日曜学校の先生たち、大人のお坊さん1人、10歳前後の子供のお坊さん4人の総勢15名ほど。マイクロバスに乗って、朝4時半にお寺を出発し、夜の11時過ぎに戻るという強行軍で、カタラガマに加え、シトゥルパウア、ルフナ国立公園などを見学しました。

カタラガマというのはカタラガマ神殿がある町の名前であり、スリランカの聖地としては最南端に位置します。昔はこの神殿は仏教のみならずヒンズー教の聖地としてもあがめられていたそうですが、政治の変化とともに仏教徒のみの聖地になってしまったそうです。しかし現在は、このカタラガマを宗教を越えた聖地(仏教徒、ヒンズー教徒、イスラム教徒)として再興させようとしているそうです。シトゥルパウアというのは、ルフナ国立公園の中にある巨大な岩の上に建てられた日本でいうところの卒塔婆です。具体的には高僧の墓だそうです。広いルフナ国立公園内には他にもポツポツと同じように巨大な岩の上に真っ白い卒塔婆が見え、なかなか壮大な眺めでした。そして、ルフナ国立公園は動物保護区となっており、さまざまな動物が自然な環境で保護されています。残念ながら、象に出会うことはありませんでしたが、野生のクジャクを見ることができました。

聖地を訪れるだけではなく、美しい景色や動物を見ることができて、とても楽しい旅行でしたが、実は私にとってはこういったことよりも、日曜学校の先生たちそしてお坊さんたちと長時間一緒に、マイクロバスの中で様々な話ができたことが最大の収穫でした。村での生活に深く浸透している仏教ですので、仏教に関する素朴な疑問について色々と教えてもらうことができました。たとえば、子供のお坊さんは出家しても許可をもらえば実家に帰ったり、両親がお寺を訪ねたりすることが可能だということ。子供のお坊さんは、お坊さん専門の学校に通っていること。肉食が禁じられているわけではないこと・・・などなど。また、村では僧侶は村のリーダー的な存在ですが、子供の頃は逆に村人に育てられる(たとえば、ゴミのポイ捨てを注意されるなど)存在であることを目の当たりにすることができたのは、中々面白い経験でした。

(パルシック 高橋知里)

]]>
スリランカ農村暮らしの日々[7] https://www.parcic.org/report/archive/deniyaya/1899/ Thu, 22 Dec 2011 15:00:27 +0000 http://test.parcic.org/?p=1899
我が家のお母さん、長い棒を使って高い木の上の花(食用)をバシバシと落としています。

女性はみんな長い髪をひとつに結わえたり、三つ編みにして垂らしたりしている

こんな小さな女の子でも、ちゃんとイヤリングをしています

アーユーボアン(こんにちは)、キリウェラガマから高橋です。日本では今頃年末年始の雰囲気で賑わっている頃だと思いますが、こちらスリランカでは、特に農村では全くそのような雰囲気はありません。というのも、スリランカのお正月は4月になるからです。もちろん、クリスマスもテレビや新聞では賑わっていましたが、村では何事もなく過ぎました。日本とは随分と様子の違う年末を過ごしているわけですが、一般の農家の家にホームステイさせて頂いていると、他にも色々と日本との違いに気付かされ、とても興味深いです。そんな日本との違いの一つとして、今回は村の女性について紹介したいと思います。

村の女性というと、まずはお母さんたちを紹介しなければなりません。これまでの日誌を振り返ってみると、お母さんたちについてあまり紹介していないことに自分自身が驚きました。村のお母さんたちは見た目も実際もとても逞しいです。女性の社会進出の低さや権利の不平等など、社会を広く見るともちろん女性が男性よりも下位に置かれているのが見てとれますが、家庭内ではお母さんの発言力は絶大です。そして、子供たちは大人になっても、男女問わずみんなお母さんっ子であり続けるようです。日本ではマザコンとでも呼ばれそうな愛着を示すこともこちらでは一般的なことのようです。新聞などでの著名人のインタビュー記事では、自分のことを’ Big Mama’s Boy(お母さんっ子)’と表現しているのを見かけます。毎日、家族の世話で大変な村のお母さんたちですが、こういった話を聞くと、スリランカのお母さんはお母さん冥利につきるな〜と思ってしまいます。

お母さんに限らず、村の女性を見て気がつくのはみんな一様に髪の毛が長いということです。10歳くらいまでの女の子はまだ短い髪をしていますが、それ以上の年齢になるとおばあちゃんも長い髪をしています。また、女性はみんなイヤリングをしています。これは生まれて数カ月でピアスホール(イヤリングを通すために耳にあける穴)をあけて、イヤリングをし始めるそうです。実は、私は村へ来た当初はこういった女性の外見的特徴に特別注意を払っていませんでした。南アジアの女性に典型的な装いだと思っていただけでした。

しかし、逆に私の格好は村の人々にとって随分と不思議なものに映っていたようです。村の人々にとっては、私がショートヘア(かなり短めのショートヘアです)でイヤリングをしていない(消毒などが面倒でピアスの穴をあけていません)ということがかなり驚きだったようです。色々な場所で「なぜイヤリングをしていないのだ?」、「なぜ髪の毛を切ってしまったのだ?」と直接的に聞かれることが度々あったり、また大勢の人々の中にいると「あの日本人は髪が短いぞ!?」「イヤリングをしてないぞ!?」というささやき声が聞こえたりしました。髪が短いこと、イヤリングをしていないことを不思議に思われたのは初めてですので、この村の人々の反応には驚かされました。こういった驚きを経て、女性の髪の毛とイヤリングに興味を持ち、何か伝統的な由来でもあるのだろうか(たとえば子供の将来の健康や豊かさを祈願するというような意味があるのだろうか?)と思い、訊ねてみましたが、美しさの象徴として長い髪とイヤリングが常識となっているとのことで、何か特別な来歴があるというわけではなさそうです。ちなみに、髪の毛は長ければ長いほどいいというわけでもなく、ある程度の長さがあればOKという感じのようです。

私は髪の毛が短いことから村の人から子供だと思われていたらしく、散歩をしているとチョコレートをもらったりして喜んでいたのですが、先日、村の人にスドゥ・マハッティヤ(白い坊ちゃん、男の子に対する丁寧な呼びかけ。女の子にはスドゥ・ノーナ)と呼ばれた時には、さすがに齢30を越えて男の子と間違われるなんて!とショックでした。

(パルシック 高橋知里)

]]>
スリランカ農村暮らしの日々[6] https://www.parcic.org/report/archive/deniyaya/1893/ Fri, 09 Dec 2011 15:00:46 +0000 http://test.parcic.org/?p=1893
茶畑の間からこんにちは

見返り美牛

後ろ姿しか見せてくれなかったお母さん

生まれて20日くらい。
足がまだプルプルしています

アーユーボワン(こんにちは)、キリウェラガマから高橋です。突然ですが、牛と一言で言っても、種類によってずいぶんと人相(牛相?)が異なることをご存知でしょうか?酪農王国北海道出身の私ですが、お恥ずかしながらスリランカに来て初めて牛の顔にも色々あることを知りました。今回は、この紅茶プロジェクトの準主役とも言える村の牛についてご紹介します。

村での紅茶プロジェクトでは、化学肥料や除草剤などの使用をやめて、堆肥を使った自然と人間にやさしい紅茶作りを目指しています。プロジェクトの参加農家には、堆肥を作るために1軒に1頭ずつ雌牛が配布されています。配布された牛、牛舎、堆肥の様子を確認するため、参加農家の家を一軒一軒、野を越え山を越え川を越えて訪ねて歩くのも私の仕事です。もちろん、私は農業の専門家でも酪農の専門家でもないので、村の農家でアドバイザー的な役割をしてくれているサラットさんも一緒です。サラットさんについては、別の機会にご紹介したいと思います。

私が牛巡りをしていて、一番衝撃を受けたのはジャージー牛の美人っぷりです。村では、ジャージー牛とジャージー牛混合種または他の種類が配布されているのですが、ジャージー牛は一目瞭然です。体はやや小さめで、鼻が短くて、目が丸くて大きいうえに目の周りに黒い渕があります。この渕がより目を大きく見せています。いつもジャージー牛を見に行った時には、「牛界のアイドルだ!」と勝手に思いながら、かわいいなーと眺めています。

農家を訪問していると、牛が家族にとても大事にされていることがわかります。特に、小さな子供たちにとっては、自分よりも手間がかかり、世話をしなくてはいけない存在だと思ってなのか、率先して面倒を見てくれているようです。ある農家では、最初に私が訪問した際、その家の小さな男の子に「変なヤツが僕の牛を取りに来た!」とでも思われてしまったらしく、号泣されました。また、牛に名前をつけている家もあります。たとえば、黒い牛にはカル(「黒」という意味)、また白黒まだらな牛にはスドゥ(「白」という意味)です。動物に、体色から名前をつけるのは日本と同じですね。ちなみに、隣村のお寺でかわいがられている黒猫も「カル(黒)」という名前です。ただし、まだら模様の牛に「スドゥ(白)」という名前をつけるセンスは、スリランカ特有なのでしょうか。日本だったら「ぶち」とでもなりそうな感じですが。

そして、つい先日お母さんになったばかりの牛もいます。子牛は生まれて20日くらいです。お母さん牛のミルクをたっぷり飲んで元気に育ってほしいです。

(パルシック 高橋知里)

]]>